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理事長コラム


ICRPの功罪 -“1FND”を経験して今考えること
加藤和明
2014年07月15日

1. はじめに
 何方かのご推挙により当「原子カシステム研究懇話会」の会員にして戴いて8年になる。 会員の obligation(の一つ)として月例会にお集まりの皆様に何か “お話” をしなければならないとのことで、2回目のオハチが回ってきた。

  天災 “3.11” に被災した東京電力(TEPCO)の福島第一原子力発電所(1F)が “過酷事故(ND)” を起こして3年以上経過した。 誰しも同じと思うが、受けた衝撃の大きさは今なお鮮明であり、災害克服の困難は今も続いている。 災害の引き金は人知の及ばぬところで引かれたが、災害に対する(事前と事後の)備えが不十分であったという意味で、“1FND” は人災であった。

  筆者には、“1FND” を含む “3.11” の災害は、740年前の元寇と 69年前の大東亜戦争の敗戦に並ぶ「三大国難」の一つであるように思われる。 原子力にしろ放射線にしろ、さらには国家にしろ、安全管理の要諦は “システムの設計と運用” に在る。 平時を前提に設計され運用されているシステムが “適応” を欠くのが “有事” である。 災害 “3.11” がかくも大きなものとなった理由と背景を考えてみたいということで、演題に「事象の生起と対応」を申し出たが、「抽象的過ぎる」、「もっと分かり易い(具体的な)ものにせよ」との指示があり、4月に他所(放射線防護研究会)で話した「ICRPの功罪」となった。 予告には「事象の生起と対応」が副題につけられていたが、本香では「“1FND” を経験して今考えること」とさせて戴いた。

  因みに前回のときも(放射線防護に係る実務の本質である)「状態の規定と判定」という題を希望したのであったが、全く同じ理由で演題は別のものとなったのであった。

2. 放射線防護に係るわが国の制度設計とその特質
 実際上、ヒトを含め、如何なる生物も、生を営む上で放射線との付き合いを避けることが出来ない。 日本の国民線量(国民の全てが1年間に受ける実効線量の総量を人口で除したもの)は、日本原子力安全研究協会の直近調査結果(2011年)によると 6.0ミリシーベルト(単位は以下同じ)であり、その内訳は、①.医療被曝(医療機関で患者の立場で受ける放射線被曝)、②.環境被曝(環境に在る放射線の被曝:体内に恒常的に存在する放射性物質起因のものをも含む)、③.職業被曝(国が指定する特定の放射線源に起因する放射線に職業としての関わりにおいて受ける放射線被曝)の 3種類に区分できるが、①が 3.9、②が 2.1、そして ③が 0.0015 となっている。

  国の放射線防護に係る制度設計は、放射線そのものの使用を規制するものではなく、国が指定する特定の放射線源に係る使用(等の行為)を規制することを基本としている。従って放射線被曝の総量管理を強いるものとはなっていない。 (放射能の総量や濃度が限度を超える)特定の放射性物質や特定の放射線発生装置(エックス線発生装置や加速器や原子炉など)が “特定の放射線源” の実体であり、これらに職業的に関わることに依って受ける被曝が上記の「職業被曝」である。 職業被曝は一定の期間ごとに定められている積分線量(線量限度:線量には「実効線量」「等価線量」と呼ばれる 2種類の “防護線量” を使用)を超えることのないように管理される。 特定線源の存在や使用等の行為は、原理的に、(職業被曝の管理対象者とならない)一般人にもなにがしかのインパクトを齎すが、これについては環境放射線に対する寄与をある限度内に抑制するというのが国の制度設計において取られていた(2011年3月11日の時点)方策である。 現在では、特定線源に「福島第一原発事故起因放射性物質」が追加され、それによる環境汚染除去などに従事する者が職業的に被曝することを「職業的被曝」と呼び、従来の職業被曝に対応して作られた略称「電離則」(旧労働省所管)に並べて「除染電離則」なるものが創られている。

  放射線の人体に対する作用は、放射線の出自の違いによるところはなく、影響そのものや影響が発現する可能性(リスク)にも違いがある訳ではない。 環境の保全管理に、特定線源起因の放射線による被曝のみを分離・抽出して評価(しばしば「追加線量」と呼ばれる)することは全くといってよいくらい意昧のないことである。 追加されるべき線量の値は空間的にも時間的にも一定ではなく、測定や推定を強いること自体合理性を欠くものである。 実際上不可知なことが多いし、たとえ近似値で満足するにしてもそれを得る努力に見合うものは見出し得ない。

  放射線防護に係る制度設計は一つのシステムであり、それを具現化したものが法令である。 現行の(正確にいうならば2011年3月11日の時点における)放射線防護システムは、第2次世界大戦(WW II)終了 8年後に、国が “原子力の平和利用” 開始を決めたときに整備されたものであった。 戦中・戦前にも放射線や放射能(放射性物質)は使用されていたが、その種類・数や規模・使用分野や使用目的は限定的であり、医学における診断への利用と理学における研究(放射線・放射能の本性解明を目的とするものと放射線・放射能を研究手段としての使用するもの)が主体であった。 過度の放射線被曝が人体に危険を齎すものであることは早くから認識されていたが、線源の使用等に伴う被曝への安全対策はもっぱら、それに関わる研究者(医学者や理学者や技術者)に委ねられていたといえる。 安全確保を目的とした “制度設計” もない訳ではなかったが、それは、例えば、電子レンジの出荷に当って「漏洩マイクロウエーブ電磁波の強度がある基準値以下になっていること」が保証されていることを製造者に求めているようなもので、今日の言葉でいうところの「電気用品安全法」の対象としての扱いであった。 現行の放射線防護システムに欠落している管理対象量の測定・評価に係る “品質” の規格が、戦前の制度設計では、工業製品としてのエックス線発生装置の製作に対して性能要求事項として織り込まれていたことは特筆に値する。

  繰り返しになるが、現行の放射線防護システムは “原子力の傘” の下に収められている。 研究・開発をも含め、原子力の平和利用には “安全確保” が絶対的な要件として課せられ、付随する放射線の安全対策は、“原子力は安全である” ことを前提に考察・検討され、システムの制度設計と運用がなされてきたのであった。

  敗戦後の、いってみれば “無” からの出発の中、必死で国力復興に励んでいた時期に行われた “放射線防護に係る国の制度設計” は、他の例に漏れず、海外先進国からの技術転移を効率第一に行うことであった。 そして、放射線の防護については「国際放射線防護委員会」が定訳となっている ICRPが創出し、世界に向かって使用を勧告していたシステムに準拠して制度設計がなされたのであった。

  “原子力” は事故(原子力安全の専門家が言うところの「過酷事故」)は “起こさない”、“起きない” ことを前提とし、システム設計を支える学術の実態は、原子力安全も放射線防護も、ハード・ソフトの両面において “翻訳学問” と陰口を叩かれても仕方のないものだった。

3.ICRPとは
 ICRP の正式名は International Commission on Radiological Protection である。 定訳となっている日本語では Commission と Committee の違いも、Radiological ProtectionとRadiation Protection の差異も汲み取ることができない。 外国語が含有している意味合いを正確に伝える訳語を決めることは本来極めて困難なことであるが、文明開化の頃の偉大な先人たちに比べると、時代が下るに連れて、事に当たる人たちの神経が行き届かなくなっていったといわざるを得ない。 リスクという用語は ICRP初期の勧告書の翻訳では「危険度」とされていたこと、ある用語(technical term)の訳を「公称値」とするか「参照値」とするか揉めたこと、等々、今の学校教育では知りえぬことも多い。

  Wuerzburg大学の W.C.Roentgen教授(物理学:日本の書物では“C”を“K”と誤って書いてあるものが少なくない)が 1895年11月にエックス線を発見して人類は放射線なるものの存在を知ったのであるが、知ってみればエックス線生成の手段は先進国の物理教室の多くに既に備わっているものであったので、追体験は比較的容易にできることであった(日本でも翌年 3月には東京や京都で成功)。 加えて、医学の世界では(知見の増加に伴い)人体の内部を非破壊的に観察したいという思いが募った時期にあり、エックス線発見の直後から医学界での利用が急速に進んだが、それと同時に、放射線への暴露は時として人体に障碍を齎すものであることも知るところとなった。

  障碍(発生)防止の方策には、計量の手法(dosimetry)と計量値についての管理基準の制定(dose limitation)が必要になるが、当初は国によってそれらがまちまちであった。 1925年に International Congress of Radiology(国際放射線医学会議)がロンドンで開かれ、今日 ICRUと ICRPと呼ばれているもの(の前身)の設立が決められた。前者は放射線の計量と単位の問題を扱い、後者は放射線被曝の管理基準設定を担うためのもので、日本からは、前者に東京帝国大学の西川正治教授(物理学:エックス線回折)、後者に同じく東京帝国大学の中泉正徳教授(医学:放射線医学教室初代教授)がメンバーに選ばれている(経緯については不詳)。

  その後 2度の世界大戦を経験し、その間、これらの国際組織は活動の中断を余儀なくされていたが、戦争が終わると活動を続けてきたのであった。

  一方、放射線防護の世界は、第2次世界大戦の前と中と後で、大きくその様相を変えるところとなった。 戦前は大陸からアメリカを包み込んでの、診断を主体としたエックス線の医学利用、戦中は核兵器(原子爆弾)の開発に注力のアメリカを中心にした “放射線の非平和利用”、戦後はアイゼンハウアー米大統領の呼びかけ “Atoms for Peace” に呼応して始まった “原子力の平和利用” が主な柱となり、実学の最たる放射線防護学も関心の主要対象を変えて行ったのである。

  原子力(平和利用)の先進国といわれる中で、実質的に日本だけが “核保有国” でない。 ドイツもカナダも国内にアメリカの核兵器を置いて居る。 日米間に密約があって日本も実際はそうではあるまいかと思って居る人は多いと思うが、佐藤栄作元首相のノーベル平和賞受賞もあり、建前としては「非核三原則」を維持している。

  日本は国が GDPの 2倍(約1P¥)の借金を抱え、税収の 2倍の国家予算(一般会計:約100T¥)を組んでいるというのに、69年前に同じ敗戦国であったドイツが、財政的に大変な負担であった筈の東西統合をやり遂げたのに加え、現在では国の借金をゼロとしている。 この違いが何処から来るものなのかと考え込んでいたとき「住んでみたドイツ、8勝2敗で日本の勝ち」という書物が出版され話題となった。 著者の河口マーン恵美さんはドイツに 30年お住いの日本人女性ピアニストで、9月例会の講師にお招きすることができたので、ご本のタイトルから受けた違和感の元を少しでも探り当てたいと期待していた。 私の立てた仮説の立証に役立つ情報は得られなかったが、「ドイツ人は(日本人と違って)怖がり屋である)と言われたのが耳に残っている。 日本では “平和” “平和” と誰もが叫び、彼の国では皆密かに “非平和” を思考の中心に置いていることは、長年親しく付き合ってきたドイツ人である友人の言動からも窺い知ることができる。 子供の頃日本の童話との違いに違和感を覚えたグリム童話の特徴も、こうなると理解できるように思われる。 ごく最近、イスラム国が、人質としたドイツ人の身代金をドイツ政府に要求するという出来事があったが、ドイツの政府は “再発防止のため” といって決然と断ったという。 1970年代の初め、“人の命は地球より重いので” という理由で超法規的措置により持参金付きでテロリストを釈放した日本政府の対応と比較すると、両国の国民性の違いがよく分かる。 ともあれ、日本がこれまでのところ暮らしやすい国であったとしても、日本が “平和ボケ” に犯されていることは認めない訳にはいかない、というのが私の実感である。

  “3.11” は、災害への備えの不適切さと後への対策の不作為が、災害の規模を大きくしたという意味で人災と呼べるものであるが、被災からの復興を妨げている困難の最大は、放射線との付き合い方に係る合理性を欠いた “呪縛” への囚われである。 そして、それには ICRPの存在と活動が深く関わっていると思う。

4.ICRPの功罪
 “1FND” の後、例の如く “悪者” 探しがマスコミを賑わわせた。 東電、国(機関や官僚)、専門家・学者、政治家、マスコミ、などが俎上に載せられたが、その中に ICRPもあった。

  ICRPは、法的には事務局の置かれている国の NPOか NGOの形態をとっているが、基本的に “任意団体” であり、その存在意義と価値は、活動の成果を世界(外部のもの)がどのように評価し、活用するかによって決まることである。

  放射線を取り扱う施設の規模と数が世界的に増大し、潜在する危険性が顕在化した時の影響が国境を超えて地球規模になるなど、時代の趨勢に応じ、国際的政治組織UN(日本では「国際連合」と表記するが中国では「連合国」と書く)の(IAEAとか WHOといった)下部機関が、実際上 ICRPの勧告を評価(追認)して “裏書保証 endorsement” を(IAEAの基本安全基準などの形で)与えることにより、開発途上国をも含めた国際社会で政治的に有効ならしめる努力を払うようになっている。

然し、ICRPの勧告は “神の作った作品” ではない。 視点を変えると性能や有効性に対する評価は変化する。 従って、活動の在り方や outcomesに “文句をつける” のは筋が違うのであって、気に食わなかったら無視すればいいだけのことである。 問題が在るとすれば、それに立ち向かう側、勧告などを手にする側のリテラシーの方なのである。

  戦後、原子力の平和利用開始を機に整備されるところとなった我が国の「放射線防護に係る制度設計」は、ICRPの創出・勧告するシステムに準拠する形で行われ、以後はその勧告を尊重することが国是のようになっている。 限られた財的資源や人的資源から多くを割くことなしに短時間で先進国と肩を並べるシステムつくりが出来たという意味において、日本は ICRPの活動に大きな恩恵を受けてきたといえる。

  しかし乍ら、先に述べた如く、ICRPは全知全能の神ではないのであって、その創出・勧告するシステムが、すべての国、すべての状況に、最適なものであるとは限らない。 システムの適応や有効性は、設計時に想定した前提に依存して決まるものだからである。 ICRPの勧告に対しては、受け手が “是々非々” の態度で冷静に対処し、受け手の置かれている状況から最適と思われるシステムに改善を続けて行くという不断の学術的活動の上で、参考にすべきものに過ぎない。

  システムつくりに必要かつ重要である学術の整備を、このように “他力本願” で進めてきたことは、“1FND” という、システム適応対象外の事象が生起したことによって、“想定外の混乱と困難” を招くところとなった。 日本には、真の専門家といえる「放射線防護屋(学者)」は皆無に近く、それを育成する仕組みも実は存在しない。 加えてこの国には「影響学」と「防護学」の混同がある。 放射線の影響を研究対象とする学問(放射線影響学)と放射線防護の在り方を研究対象とする学問(放射線防護学/放射線管理学)は全くといっていいくらいの別物である。 前者は “理学的” である(真理の探究が目的であり、関係する個人や組織が業績としての功を上げることが driving force となることはあっても、成果を得るのに時間的制約はない)のに対し、後者は “工学的” なものである。 医学と同様 “実学” の最たるものであって、医学の臨床がそうである如く、与えられた制約の中で極めて短い時間内(通常は即座)に “最適解” を出さなければならない。 LNT仮説(発ガンや遺伝的障碍を内容とする stochastic effect 発症の可能性は、線量が閾値を越えなければゼロであり、それ以上では線量に正比例して増加単位線量あたりのリスクは一定となる、という説)の正誤・当否は “影響屋さん” にとっては重大な関心事となるが、“防護屋” にとっては、極言すれば、どうでもいいことである。 管理基準を閾値以下にしなければならないという “至上命令” 的な束縛条件はないのであって、必要なものは「安全と安全確保に係る “確たる哲理(目標設定)と方策の確立”」なのである。

  真の専門家といえる放射線防護の専門家が払底していることが原因であるか結果であるかは判然としないが、国の様々の組織に “放射線防護学” の専門家が就くべきところに “放射線影響学” の専門家が “徴用重用されて” いる例が非常に多い。

  何事に対しても言えることであるが、ICRPの活動やその成果に対しては、受け手がリテラシーを高めて臨む必要がある。 システムの適応や有効性は前提に依存して決まることであり、その前提は空間的にも時間的にも不変でないし、当初から抱えている瑕疵(不具合や不出来)もあるのである。

  繰り返しになるが、“3.11” の災害からの復興に大きな障碍となっているのは、国民の広い層に渡って蔓延っている “放射線との付き合い方に係る呪縛” である。 放射線防護の制度設計が「原子力は安全」という神話に基づいてなされたことが “過酷事故への備え” を適切になし得なかったことに繋がり、それが “1FND” 発生後の事態収拾・復興促進に大きな障碍となっている。 そして、その呪縛は、ICRPの勧告を尊重して作り上げた国の制度設計において、それまでの法整備の考え方と著しく異なる哲学「放射線被曝は少なければ少ないほど良い」を基本としたところから生じたものである。

  人災 “1FND” は、原子力大国といわれる中で唯一 “原子力の非平和利用” を行っていない国であることが裏目(平和ボケ)となって生まれた「安全神話」が齎し、災害 “1FND” の復興に大きな障碍となっているのが「危険神話」なのである。

  その危険神話が ICRP の説く ALARA の思想・哲学に起因することは明白であり、その意味で ICRP は罪深いと考えるが、しかし、これも繰り返しになるが、問題とすべきは ICRP に立ち向かう側の能力の方である。 ICRP の勧告には是々非々で臨まなければならないのに、それを避けてきたのが悪いのである。

  ICRP に対するリテラシーを高めるにはその特質を理解しておく必要がある。 以下は筆者が抽出を試みた ICRP の特質リストである。
  1. ICRP は、組織というものが皆そうである如く、それ自体一つの “生命体” である: 生命の維持・保存が第一の行動指導原理であり、機会を得た時には本能的にチカラ(Power)の増強に努める。 便益の追求と危険の回避はすべての生物(生命体)に備わっている本能的欲求なのである。
  2. ICRP は科学・技術の衣を着た “政治団体” である。科学は真理の追求を目指すものであり、ICRP の考えが “真理” であると見做すことは ICRP にとっても迷惑なことであろう。 この点は我が国の原子力規制委員会(NRA)にも当て嵌まることである。
  3. ICRP の活動を支える学術のレベルは、残念ながら、いつの時代においても世界最高といえるほどに高いものではない。 多くの outcomes は “妥協の産物” といってよい。
  4. 学問として放射線影響学と放射線管理学は別物であるが、ICRP 自身がその認識に欠けているように見えるのが問題である。
  5. 放射線防護の主たる対象が第2次世界大戦の前・中・後で大きくかわり、それに呼応したかのように ICRP 自体が大きく変容を遂げた。
  6. 戦後から現在に至る ICRP の哲学はアングロサクソン流の実用主義(プラグマティズム)が主流となっている。
  7. ICRU と ICRP の役割は、それぞれの前身がつくられた 1925年の時点でははっきりと分けられていた筈であるが、最近は両者共に相手方領域への浸食がみられる。 両者の役割分担を再確認するなり統合を図ることが望ましい。
  8. ICRP と IAEA が関係を深めている現状は問題である。 原子力と関係のない領域にあっても放射線との付き合いは避け得ないのであって、日本のように、放射線防護にかかる制度設計を “原子力の傘” の下に収めているのは望ましいことではない。
  9. 核抑止力の効力増強に資する目的で、放射線被曝の潜在的危険性を誇張することがあってはならない。
  10. ICRP の存在と活動により生み出されている “便益を受ける個人や社会” が存在する。


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