RSF 放射線安全フォーラム 本文へジャンプ
理事長コラム


国難“3.11”の困難克服を困難にしている最大の要因は何か
加藤和明
2014年04月20日

 東京電力福島第一原子力発電所の4基の原子炉施設が、2011年3月11日に起きた東日本大震災(天災)に被災し、安全対策上想定するに及ばないとしていた異常事象が、想定に反して生起し、過酷事故(1FND)を引き起こして3年を経過した。

 災害に対する事前の対策と事後に対する備えが、国が所有していた能力に照らして不十分であったという意味で、災害の大きさに占める人災の要素も大である。

 19年前の昭和・阪神淡路大震災(“1.17”:死者6434人;行方不明者3人; 被害総額~10T\)が、実質3年で復旧・復興を成し遂げ、91年前の大正・関東大震災(“9.01”:死者・行方不明者数105k余;被害総額~当時の国家予算の1年4月分)が、7年後の1930年に、瓦礫を埋め立てて横浜につくった山下公園の竣工記念式典をもったことに比べて、復旧・復興の遅れが目立つ。

 個人的な感覚では、この国が遭遇した過去の三大国難を上げるとすれば、①.740年前の元寇、②.69年前の大東亜戦争の敗戦、③.が今回の“3.11”である。① は神風に助けられた。② は全くの“無”からの再出発であったが、3年後の世の中の空気は明るく復旧・復興のスピードは、③ の3年後とは比べようもないほど早いものだった。誰もが、「明日は今日よりよくなる」と自信をもって予想でき、希望に溢れていたと思う。

 ③ の国難(“3.11”)の復旧・復興がなかなか思うに任せないのは、② の時と違って、様々の呪縛にがんじがらめとなっているからである。現行の国家運営は、基本的に“平和”を前提に設計され、運用されてきたものである。分業と専門の特化が縦割りとなっており、放射線防護(RP)の制度設計は、原子力は安全に利用されるという前提の下につくられ、運用されてきたのであるが、“1FND”の生起により、この前提が崩れ、RPのシステムは、災害への対処に適応を失うところとなった。しかし政府は“国家が非常事態に陥ったことの宣言”を発せず、平時を前提につくられた様々の制度が、若干の対症療法的な手直しは行われたものの、基本的にはそのまま継続的に使用され続けている。

 法治国家を標榜し、順法こそ国家が生き延びる正道であると考える国民が多いことから、人々の思考や行動を縛る様々の制約(呪縛)に苦しむところとなっている。放射線防護を生業として50年以上生活を続けて来た者の一人として、それら呪縛の中で最も影響が大きな阻害要因となっているのは「放射線との付き合い方」に係るものであると痛感する。

 今この国では、放射線防護の制度設計再構築が喫緊の課題であり、自力で、世界が手本とするような、優れた作品を作り出し、我々自身が原子力平和利用の便益を享受するだけでなく、既に高い評価を得ている原子力発電施設の設計・製作・稼働におけるハード面での能力に加え、ソフト面でも世界最高レベルのシステムを構築し、併せて世界最高レベルの技術として海外の多くの国々に輸出し、世界の多くの人々に感謝される日が来ることを目指すべきである。それは70年前に日本が原子力の平和利用開始を決意した時の初心に帰ることを意味する。
(2014年04月26日 改訂)


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