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分散と集約
加藤和明
2014年04月17日 |
「復旧・復興」の掛け声が「除染・復興」の掛け声に代わったのは、3.11から1年経った頃からである。日本人にはマルかバツか、白か黒かの二分法的思考が大好きで、どちらかがよいとなると、後先も考えずに突っ走ってしまうところがある。
国は、「被曝線量は少なければ少ない方がよい」という考えを基礎に据え(哲学とし)、除染は環境省、復興は復興庁の任務と決め、最大限の財的資源と人的資源を注入していると胸を張っている。
除染とは、見方を変えれば、分散して存在する放射性物質を空間的に集中・集積させるということである。一般的に言って何事に限らず、量の違いは質の違いを齎すものである。分散状態で自然環境に在るものを集中・集約することによって、それまでは無視して差支えのなかったものが、リスク要因としてなにがしかの管理が必要となる、ということがある。
日本の生活圏にある大気中には、放射性気体であるラドンが、平均で 毎立方米10Bq以上、最大で同200Bq以上の濃度で存在する(下・山田:放医研,2000)。何かの事情で放射線源を手に入れたいと思うなら、家庭用の電気掃除機を集塵機として一昼夜空気を通すと、濾紙にラドンを集められる。放射性気体は濾紙に付着するのである。これがもっとも簡単な放射線源のつくり方の一つである。
また、大洋の海面近くの海水中には、3.11後世の関心を集めている放射性セシウムCs-137が、毎立方米約10Bqの濃度で存在している(青山・他:気象研,2012)。
“除染”“除染”の掛け声の下、“低レベル放射性廃棄物”のレッテルを張られた、大量の廃棄物が作り出され、その始末に苦しんでいるのを見聞すると、放射性物質の安全管理の在り方に疑問を覚えざるを得ない。
69年前、広島と長崎に原爆が投下され、その時にも大量の放射性セシウムが降下した。当時は除染を積極的に行ったという話は聞いたことがない。3.11の後、Cs-137の物理的半減期が30年であることが声高にいわれ、今や知らない日本人はいないと思われる。半減期の2倍が経過すると総量は1/4に減少する理屈だが、今は現地のどこを探しても検出できないだろう。
半減期というのは、着目物質の減弱率が時間の変化に依らず一定であるとした時に成り立つ微分方程式の解が指数関数となることから出て来る概念である。環境汚染レベルの時間的推移は、減弱を齎す条件が時間的に一定とはみなせないことが普通であって、実際の減弱は指数法則に乗らないとしたものである。半減期の概念は適応を失うと考える方がよい。
広島・長崎に降ったCs-137が今どこに在るのかを考え、1FND起因で環境を汚染したCs-137の汚染表面密度の時間的推移を注意深く観察して、減弱の実際の時間的推移の特性を知ることに努めることが大切である。
チェルノブイリ事故の時にも、減弱の時間的推移についての情報は結構得られていたはずであり、ウクライナに紹介すれば情報の提供もより多く得られる筈であるが、どういう訳かウクライナという国に対しては関心が余り向けられない。
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(2014年04月26日 改訂) |
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