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理事長コラム


J-PARCの“放射能漏れ事故”に思うこと(その2)
加藤和明
2013年 5月27日

 昨日に続き、今日はJ-PARCの“放射能漏洩”事故の報道記事を観て得た印象を記す。 

 2013年5月25日と26日の朝刊に出た記事を目にして“反射的に”感じた感想である。 手にしたのは、朝日、読売、毎日、産経、の中央4紙(日経は毎週火曜日にまとめ読みをすることにしているので含まれていない)と筆者の住むところでの地方紙である茨城新聞だけである。 順不同のコメントである。

  • 見出しに共通していたのは『放射能漏れ』と『被曝』の強調と、事故の原因が「機械の誤作動」による『想定外のことと発表されたこと』と『公表の遅れ』への国や地方自治体やマスコミによる非難であった。

  • 物事は“量の違い”により“質(性質や重要性)の変化”を齎す。 1974年の原子力船「むつ」の『放射線漏洩事故?』のときは、1カ月もの間「放射能漏れ」と書き続け、漏れた放射線(中性子線)の量がどれほどのものである(あった)かについて何の報道もなされなかった(数年後に発表された政府の調査報告書もこの点については変わらない)。 今回は事件に従事していた研究者の受けたであろう線量の推定値が発表されただけましであるが、ミリシーベルト単位で 1.4とか 1.6といった数値の『被曝』が何故問題なのか、漏れたという放射能の本性(放射性核種の種類と量)についての記述がないだけでなく、『放射能漏れ』なるものがどういう意味を持つのか(何故重要なことなのか)といった点での解説や記述が皆無である(一部には在った)。 JAEAからの発表として、「(この程度の被曝では)健康に特に影響はない」との定番の(釈明と思しき)解説が添えてあったが、“健康への影響”が何を指すのか、“特に”という副詞に込められた意味が何であるのかの説明は、例のごとくなにもない。 マスコミ(の多く)、は提供者から渡された情報をそのまま伝えるという“子供の遣い”に甘んじている。

  • そもそも「管理区域」を設けるということは、安全管理の目標達成のため、作業空間の放射線レベルや空気中に含まれる放射能濃度や空間内に存在する物体(人体も含まれる)の放射性汚染の可能性があり、それぞれに定められている管理基準を逸脱しないように管理し、そのため常時(小さな施設では随時とすることもある)“状態”の監視を行うことを意味しており、敷地境界での放射線レベルや放射性流体の放出レベルを監視するというのは、国が許認可を与えた“特定線源”の使用等により、一般環境に与えるインパクトを定められた管理基準を逸脱しないよう管理するためのものである。 従って、ある事象によって研究者の職業被曝が何かしか測定・評価されたとか放射能が測定されたというだけでは、報道されるべき内容としての吟味に欠けていると言わざるを得ない。

  • 今回の事象の本質は、J-PARCの「素粒子原子核実験ホール」(ハドロン棟)の使用に係る放射線安全対策(システムの設計と運用)に不備・欠陥が在ったということである。 職業人が職業被曝を受けるのは、ある意味で当たり前のことであり、一般人も一般環境や医療施設で、被曝を受け続けているのである。然るべく対策の取られた場所で放射性物質の放出が在ったとしても、それが想定内のことであったら、何の問題もないとしたものである。「被曝が在った」とか「放射能漏れが在った」という事実が問題であるような見出しの付け方には反省を求めたい。

  • 放射線防護に係る国の制度設計の基本は、(放射線そのものの使用を規制するのではなく) “特定の放射線源”の使用を規制するというものである。 そして国が使用等に許認可を与えた者(J-PARCの放射線施設は「放射線障害防止法」により規制される“特定線源”であり、許可を申請し認められた者を「使用者」と呼ぶ)が、使用等に係る安全管理に最終的な責任を負う仕組みとなっている。背景と経緯が複雑で解説すると長くなるが、J-PARCの場合、法的使用者はJAEAの理事長でもKEKの機構長で もなくJ-PARCのセンター長とされている。 法的(に最終責任を負うべき)「使用者」は、安全確保に必要な対策を施す義務を負うが、大型で特殊な放射線施設については「安全対策検討委員会」のようなものを置き安全対策についての適否を諮問するのが通例である。 J-PARCにおいてもそのようになっている。

  • 放射線に限らず、安全管理の要諦は(そのための)システムの設計と運用に在る。 そして、システムの性能や信頼度を常時監視し、性能劣化や、関連する科学・技術の進展や社会の安全に対する意識の変化に応じての、性能改善にかかる意見具申や勧告を“使用者”に対して行うことを本務とする者が必要とされ、海外では RSO(Radiation Safety Officer)などと呼ばれている。 我が国の現行制度設計ではこの点についての規定が不十分であると言わざるを得ないが、KEKでは放射線取扱主任者にその任を負わせている。 JAEAでは以前の組織である旧原研や旧動燃においてもこの役目を負うべきものが明確にされて居なかったように理解している。

  • 加速器の生成されるビーム強度などが最も良い例であるが、一般に量の大きさが3桁変わったら、“世の中は別世界”となる。 「ハドロン棟」の放射線安全対策に抜かりが在ったとすれば、第1番に責任を感じるべきは放射線取扱主任者であり、第2に安全対策の当否を検討した「安全性検討委員会」、第3に許認可を与えた所管省庁の担当官である。 当時の所管官庁であった科学技術庁や後の文部科学省は、J-PARCのような大型で特殊な“放射線源”の使用に対する許認可審査に際し、担当局長の下に「顧問会」を置き専門家の意見を求めたとのことであるので、そのメンバーも責任なしとは言えないものと考える。 J-PARCの(選任)放射線取扱主任者がセンター長に適切に意見具申なり勧告が行われた場合には、主任者は免責となり、責任はセンター長に全面的に移るし、放射線管理の実務に責任を負う者(放射線管理室長)が主任者の指示に背いたり、独自の判断で行った行為の結果である場合には管理室長の責任も問われることになる。 更に、放射線業務従事者に、決められたルールへの違反があった場合には、それも然るべくお咎めを受けることになる。

  • 放出された放射性物質の量や放射線の量、それによって受けたであろう線量(内部被曝の場合にはこれから受けるであろう将来の分まで含めた推定の値)が、意味するところも適切に説明されてしかるべきである。 因みに筆者(77歳)がこれまでに受けた生涯の線量(実効線量)は、職業被曝として 300ミリシーベルト以上、環境被曝として 100ミリシーベルト以上、医療被曝として 300ミリシーベルト以上、合計 500ミリシーベルト以上と推定している。

  • 一昨日の夜、どこかのテレビの映像に、筆者がJ-PARCの「(選任)放射線取扱主任者」と認識している人物が、実験の担当者として紹介されていた。 事実だとしたら由々しきことである。大学などでよく観られることであるが、放射線を使うことで成果を上げることを本務とする人間に放射線安全管理の責任者を兼ねさせるということは在ってはならないことと心得る。 筆者自身も現役のとき、実験者の立場に立ったり実験責任者になることもあったが、そのようなときには“役目”を他に代わって貰う仕組みにしていた。 具体的には上部組織である「安全委員会の委員長」に“主任者の仕事”を代行して貰っていたということである。

  • 最後に強く思うのは、ある事業所である種の不都合を引き起こしたとき、事業所内の全事業が稼働を止められてしまうという、今日も続くこれまでのこの国の風潮は、国益を大きく損ねることが多いということである。 例えば、もんじゅの運転を長期間認めずにきたことと B787の電池に関わるトラブルへの対応を比較して見るとき、またも考え込んでしまうのである。
2013年 5月27日



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