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理事長コラム


J-PARCの“放射能漏れ事故”に思うこと
加藤和明
2013年 5月26日

 J-PARCの「原子核素粒子実験施設」で“放射能”漏れの“騒ぎ”があり、昨日は、NHKをはじめ、多くの電波メディアがトップニュースとして報じ、今朝は新聞各紙がそれぞれ大々的に報じている。

 J-PARCは、「旧原研(元科学技術庁所管特殊法人・日本原子力研究所:JAERI;現独立行政法人・日本原子力研究開発機構:JAEA)」と「元文部省所管、現大学共同利用機関法人・高エネルギー加速器研究機構:KEK」が共同で建設し、使用を続けている研究施設である。 筆者は、放射線安全科学を専門とし、JAERIに13年半(保健物理部/原子炉研修所;保健物理とは“放射線防護”を意味する用語として先の大戦時に米国で原爆開発の秘密研究プロジェクト「マンハッタン計画」において創りだされたもの)とKEKに24年余勤務した者であり、J-PARCの計画推進時に放射線安全対策を検討する委員を務めていたので、人並み以上の関心を持って報道に耳目を傾けている。 と同時に、放射線安全管理の業務に従事している“後輩”の不始末については、ご心配・ご迷惑をお掛けしている皆様に、お詫びを申し上げたい。

 現時点では、報道を通して知り得たこと以上のことは知らないのであるが、50年以上この世界に身を置いてきた者として、関係の深い方々を念頭に置きつつ、世間の皆様に幾分なりともご参考になる所があればと願い、今回の“事故”の報道に接して抱いた感想をまとめてみた。

 放射線安全管理の要諦は(そのための)システムの設計と運用に在る。蛇足ながら、国家運営についても当て嵌ることである。

 国民を放射線の好ましくない影響から守るために国が作り上げた“制度設計”の核心は“放射線そのものの使用(正確には「製造・保有・使用・廃棄、等」)を規制する”のではなく、“特定の放射線源の使用を規制する”というところにある。 発電用の商用原子炉も高エネルギー加速器も“強力な”の形容詞がつく“特定放射線源”である。 前者は「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律:1957年06月10日制定、以後多数回改正」(略称「原子炉等規制法」)、後者は「放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律:1957年06月10日制定、以後多数回改正」(略称「放射線障害防止法」)により縦割りに規制されている。 何れにしても、許認可を得た者以外には使用が認められていない。 前者により許認可を得た者は法的用語として「事業者」、後者による者は同じく「使用者」と呼ばれている。

 加速器はタイプと性能により“特定放射線源”と規定され「放射線発生装置」というのが法的呼称とされている。 国の現行制度設計では上記「放射性同位元素等」の“等”に含まれるとしている。

 上記2種類の“特定放射線源”の取扱いには、放射線安全管理のための各種基準値や特定線源指定に必要な免除基準値や解除基準値が必要となるが、法令間の整合をとって値を定める任務を担う機関として「放射線審議会」が設置された(「放射線障害防止の技術的基準に関する法律」:1958年05月21日制定)。 当初は首相直轄の諮問委員会であったが、(旧)科学技術庁所管の委員会となり、1974年の原子力船「むつ」の“放射線漏洩事故”を契機に創られた感のある「原子力安全委員会」との役割分担が明確に示されていなかったことなどを背景に、現在は環境省の原子力規制委員会の下に名前のみ残されていて任命委員は皆無という状況に立ち至っている。 特定放射線源の一つである「法的放射性物質」の“解除基準”を「クリアランス・レベル」と呼んでいて、個人的には賛同しかねるところであるが、3.11の直前、放射線審議会(RC)と原子力安全委員会(NSC)の意見が折り合わず、原子炉の解体に関係して定められた年10マイクロ・シーベルトが、放射線障害防止法の所管である加速器施設に対しても使われることが決められた。 3.11が起きてみると、このようなレベルの設定についての議論や論争は何であったのかと思わざるをえない。そして今、RCも NSCも姿を消してしまっている。

 それはともあれ、許認可を得て使用される“特定線源”については、放射線安全に最終的に責任を負う者は、許認可を受けた者とされている。

 高エネルギー(通常、核破砕反応の断面積がエネルギーによりほぼ一定となる100MeV以上を指す)の核子加速器(J-PARCの加速器はこれに当て嵌る)は、中性子の生成や放射能生成の能力はパワーあたりで比べるとき原子炉とほとんど変わらないのであるが、原子炉の場合には設計・製造の段階から許認可の対象とされているのに対し、放射線障害防止法がRIの使用を主眼に作られたものであるため、J-PARCのような超高パワー・高エネルギーの大型加速器施設であっても、使用に対する許認可申請だけが求められている。

 最初に述べたように J-PARCは旧JAERIとKEKの共同事業として、実際上、国が行なっている事業である。 使用の申請にあたって、当時の所管官庁であった科学技術庁は、当初 SPring-8の前例に従い、JAERIの理事長とKEKの機構長の両者による申請を要請していたが、某事務次官が異議を唱え(正論ではあった)、申請者(使用者)は“単記”とすることを求めてきた。 それで、JAERIの理事長とKEKの機構長は協定を交わし、J-PARCのセンター長に責任と権限を委譲する形を取り、責任の所在の一元化を図ることとなった。

 くどくどと書いてきたが、J-PARCの場合、放射線(に限らず全て)の安全の最終責任を負うべきものは、現在のJAEAの理事長(不幸にして現在不在)でも、一部報道が取り上げている原子力科学研の所長でもなく、J-PARCのセンター長なのである。

 使用者が放射線安全に最終責任を負うということは、必要な方策や設備を自らの責任で整える必要がある。 大型の放射線施設では、使用者の諮問に応える「放射線安全審査委員会」を用意するのが通例で、放射線安全に係る外部からの学識経験者、規制を受ける側の代表、安全管理システムの性能・信頼度の常時監視し、改善の必要を認めた時には(法的)使用者に意見具申や勧告を法的に義務付けられている、使用者が任命した「放射線取扱主任者」や放射線安全管理の実務執行に責任を持つ「放射線管理責任者」や放射線発生装置の運転責任者、などで構成される。

 世の中では、用語の概念規定が不明確なまま使われているケースが多々あるが「事故」という用語もその一つである。 筆者は、法的に定められている管理基準を超えたときや許認可を得る際に申し出た条件を逸脱した行為があったときなどのように“法令違反”があったとき、それを“事故”と呼び、それに至らないものであって事前に想定されていなかったものを“異常”と使い分けることを提案したい。 “想定内の異常”というものはありえない。 空間の放射線レベルや空気中放射性物質の濃度、空間内に存在する物体の表面の放射性汚染などについて、何がしかの上昇がありうると予想するから管理区域等を設定し、また敷地境界を明確にして、外部環境に及ぼす放射線や放射能放出のインパクトを限度内に抑制しているのである。

 想定外の異常は、法的には問題とするに及ばないが、放射線安全管理に責任を負う者にとっては、徹底的に調査しなければならない、重大関心事である。 将来の事故発生の可能性を低減化させるため、原因を徹底的に調査し、再発防止の方策を構築しなければならないからである。

 今回の“騒ぎ”が事故であることは、J-PARCの「原子核素粒子実験施設」で、管理区域内外の放射線レベルや放射線業務従事者の被曝線量が管理基準を逸脱したか否かに拘わらず、放射線安全管理の対策上“想定外”とされていた“生成される放射性物質による汚染”が起きた、という1点だけで明確なことである。 事故を起こしたことに対する最大の責任は、そのような可能性に気づかなかった放射線取扱主任者にあるといって良い。 ただし、放射線取扱主任者がそのことをすでに法的“使用者”であるセンター長に勧告していて、センター長がそれを結果的に無視した場合には責任はそちらに移り、主任者は免責となる。 二義的に責任を負うべき者は、安全対策について諮問を受け、安全性について科学・技術的に判断を下した「放射線安全審議委員会」である。 その中でも特に責任を問われるべきは“学識経験者”と呼ばれる“先生方”であると考える。

 先人の失敗や苦労が全くもって“貴重な知見”として、後に続く者に引き継がれていないことに、深い悲しみを覚える。 特に、「量の違いは質の違いを生むものであること」「数字が3桁違ったら別世界」などと、J-PARCの放射線安全対策を検討する委員を務めていた時に口を酸っぱくしていい続けてきただけに残念でならない。

 また一部報道で、放射線取扱主任者を務めている筈の人物が、実験の担当者として紹介されていたのも気にかかることである。 筆者は、KEK時代、放射線取扱主任者や放射線管理室長を務めている時に放射線作業に従事する際にはその仕事を上部組織である「安全委員会の委員長」に代わってもらうなどしていたものである。 序ながら、大学等でよく見られる、放射線を使うことによって業績を上げる人物を放射線安全管理の責任者に任命するという例は、絶対に止めるべきであると考える。

 国の制度設計が、特定の放射線源の使用を国の許認可を得た者に限定するという以上、国の安全審査担当官も責任を免れるものではなかろう。 3.11に被災した 1Fが“原子力災害”を起こした責任は、“過酷事故に対する対策は事業者の裁量に任せてある”という論理で、事業者であるTEPCOにあるというのが、政府の主張のようであるが、それは論理的に、はっきり言って無理がある。 RIの使用許可申請書に“地崩れの恐れ”や“浸水の恐れ”について記入を迫られているが、法律が制定された当初の記入の手引き(財団法人・日本放射性同位元素協会から出版されていたが実質的には所管官庁が作成したものと言われている)では、それぞれ「ナシ」と記入して良いとされていた。 1971年だったか 1972年に行った KEKの第1回目の申請書にはそう書いて許可を得ていた。 もしも、想定外の事態が生じて地崩れや水害により“放射線事故”が発生した時には、「“恐れナシ”と書いたのに事故を起こしたのだから使用者が悪い」といわれるようなもので、役人が責任逃れの道具に使うために用意したものかと疑わしくなってくる。 許認可に際して判断される基準を明確にすることは、放射線障害防止法についても必要なことであろう。
2013年 5月26日



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