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理事長コラム


文科省の“放射線副読本”に驚く
加藤和明
2011年10月24日

 東京電力の福島原発が3.11の東北太平洋大地震で大事故を起こし、未だ終息の見通しすら付けられずにいるが、その困難の一因が、一般国民の放射線についての知識不足に在ることが指摘され、実質的にこの国で義務教育となっている、小学校・中学校・高等学校において、“ゆとり教育”の名の下にこの30年間、“放射線について教える”ことをして来なかったことが批判を受けている。

 こうした国民の声に応えたのであろう、文部科学省(MEXT)は、小学校、中学校、高等学校のそれぞれの生徒向けに表記副読本とそれぞれの教師向けの解説書を作成し、10月14日、MEXTのweb(ホームページ)に載せた。小学生用には「放射線について考えてみよう」、中学生用には「知ることから始めよう、放射線のいろいろ」、高校生用には「知っておきたい放射線のこと」という題がつけられている。テキストと解説書はどれもA4判の多色刷りで、頁数は、表裏の表紙込みで順番に、20,24;24,32;24,32;となっている。

 新聞各紙が直ちに報道したところを見ると、国民の多くが待ち望んでいたことであったことが良く分かる。と同時に、私は本フォーラムと似た名称の「(NPO)放射線教育フォーラム」の監事でもあるのだが、我々がこれまでやってきたのは何だったのかという無力感にも襲われる。

 遅れ馳せとはいえ、文科省のこのような努力には敬意を表すると共に喜ばしく思って作品を拝見したのであったが、非常に気になる記述が目を引いた。この国を滅ぼすことに繋がる恐れがあり、とても看過できないと思った記述である。それは「放射線を受ける量はできるだけ少なくすることが大切です」(小学生用テキスト12頁、中学生用テキスト16頁)である。中学生用では、“自然にある放射線やエックス(X)線検査など日常で受ける量であれば、健康への心配はありませんが”と断ってはいるが、「ココがポイント」という見出しを付けたカコミの記事となっている。同じように、高校生用でも「がんの原因の一つと考えられる放射線についても受ける量はできるだけ少なくすることが大切です」(テキスト14頁)と書かれている。

 以前からこのコラムでも強調しているように、すべからく記述命題の当否、正誤は前提次第である。前提を丁寧に示すことなくこのような記述を小学生の頃から身体に刷り込ませるというのは、母親等への影響も大であろうから、国民の多くを「放射線嫌悪症」や「放射線過敏症」に追い込むこと必定である。

 放射性に汚染された食物しかなくなったときでも、将来がんに罹患して死ぬことになる確率の上昇を避けるため、“飢死”や“栄養失調による感染症罹患死”といった眼前のリスクを受け入れよということに繋がるのである。3.11の後これまで政府が採ってきた施策には、実際にこのようなことが起きていることを直視すべきである。

 かつてはGDPが550兆円もあって世界で2番目という経済大国を誇りに思っていたこともある国だが、恐らく今は500兆円を割り込んでいるであろうし、中央と地方合わせた政府の借金は1,000兆円を超えてしまった。国民の貯蓄が1,400兆円あるといわれていたが現在の数値は下がっているだろうし、その実体は上記政府への貸付金である。国も家庭も金庫の中がカラッポの中で東日本大震災に見舞われ、復興に20兆円の補正予算が組まれ、1F事故起因放射性物質による汚染除去(除染)に2兆円を見込んでいる。除染の目標は最初、住民の追加線量を年5mSv以下とし、経費を1.2兆円と見込んでいたが、政府が目標を年1mSv以下に下げたため2兆円と変更になったものである。筆者の見るところでは、(現在我々が置かれている状況に特段の変化が起きない限り)2兆円ではとても済まないと思われるが、それ以前に、技術的に実行不可能であると考える。

 危険の回避と便益の追求は、あらゆる生物にとって本能的欲求であり、人の場合には基本的人権である、と以前このコラムに書いた。3.11後の“合理性と整合性を欠いた諸々の施策や政府の不作為”により、この人権が不当に侵害されている人々の苦悩を少しでも軽減化することに努めようと、本フォーラムでは、除染は技術的に可能であり有効であることを実証し、除染を行おうとする人たちや組織に協力をしようとするプロジェクトを立ち上げ、責任者である田中俊一副理事長の名をとって「T-計画」と呼んでいる。幸いこの計画は成功裏に推移し、公的機関による公的取り組みも見られるに至ったことはマスコミの報道もあって広く世に知られるようになった。しかし、何かが良いとなったら全てそっちに流れて行くというのがこの国あるいは国民の特質らしく、国の汚染区域を全て除染しようというような流れとなっている。“国土は(少しばかり?)きれいになったが、国家は消滅してしまった”とならないことを祈らずに居られない。

 ここで初めに戻らせて戴くが、この度の文科省の「放射線副読本」は、このような心配を増大させる方向に働くのではないかと危惧するものであり、筆者は戦慄を覚えざるを得ないのである。

 ICRP(がALARAの精神を強調するの)は本当に罪深いと思うが、それ以上に憤慨を覚えるのは、深く考えることもせずにその勧告をそのまま受け入れるという、この国の制度設計の監視役とそれに協力している“御用学者”の意識と能力の低さである。この国では、社会の各層で大変な“学力低下”を来していると嘆きたくなる所以である。

 (以下111027追記)

 「批判するだけなら簡単だ。批判するなら建設的な対案を付けるべし」とは、生意気にも、これまで、人様に申し上げてきたことであった。今回、見事にこれが自分に射返されてきた。そこで、対案なるものを取り敢えず考えてみた。

<小学生向け>

「放射線を受ける量はできるだけ少なくすることが大切です」→「必要のない放射線はできるだけ浴びないようにすることが望ましいけれども、私たちの住む世界には、もともと自然の放射線が結構な量あるので、ある量以下に下げようと思っても出来ることではないし、また意味のないことです」

<中学生用>

「放射線を受ける量はできるだけ少なくすることが大切です」→「放射線を受ける量はできるだけ少なくすることが大切です。ただし、私たちは日頃自然界にある放射線の海に浸って生きている上、その大きさが地域によって大きく違っているので、それらと比べて違いが出るほど努力することは意味がないことです。また、放射線は使い方によって私たちに大きな便益をもたらしてくれるものでもあるので、必要以上に怖がることはよくないのです」

<高校生用>

「がんの原因の一つと考えられる放射線についても受ける量はできるだけ少なくすることが大切です」→「物事の性質は、量の大きさによって変わってきますし、行為や判断が妥当なものであるか否かは、前提によって変わってくるものです。必要のない放射線への被曝は避けるに越したことはありませんが、そのことが妥当であるためには、そのことによって他の要因によるリスクの上昇が問題とならないか、なったとしても得たいと思う特別の便益が見込まれる場合に限られることに注意する必要があります」
2011年10月24日
追記:2012年01月27日



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