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理事長コラム


国の滅亡と法律の関わり
加藤和明
2011年06月23日

 東日本大震災が起きて15週過ぎたというのに、12万人以上の人たちが避難を余儀なくされ(最新の政府発表値)、重篤な被災地では未だに瓦礫の整理もついていない。被災した1F原発の誘発事故への対応をも含め、復旧・復興の足取りは極めて遅いといわざるを得ない。

 国の金庫が空っぽのときに大変な災害が起きたという事情もあるが、既存の(平和時用につくられた)法令の中にある、非常時には存在自体が障害となったり、非常時につきものの“想定外”事象の出現(例えば放射線管理区域外での放射性瓦礫の発生、など)に対応できる法令が存在しないことが、迅速な対応を困難にしている一因であることは、これまでの推移を見れば明白である。

 非常の事態が発生したときには、災害を最小限に食い止めるための施策決定は迅速に為されなければならず、それには、への対応と、非“非常時”、すなわち平和であることを前提に定められている多くの法令や取り決めの中で障害となるものの効力を一時的にしろ、局所的にしろ、迅速に停止することが必要となるのであって、チェルノブイリ原発事故が起きた時、ソ連のゴルバチョフ大統領がすぐさま“非常事態宣言”を発した如く、この国でも国政を預かる最高指導者は当然そうした処置をとるものと思っていたのであったが、一向にその気配がないまま時が過ぎ、3月の下旬に至って、思いあまり、首相(官邸)に「事情事態宣言の必要性と重要性」をどなたかに説いて戴きたいと願ったが、結果的に残念ながら功を奏さなかった。

 在る会合で顔を合わせた、旧知の、元政府高官氏にこのような話をしたところ、「わが国には戒厳令を発するための法律がないから、そんなことはできないのだ」と言われてしまい、愕然とした。

 確かに“非常時に一般行政権を制限する法令”として、明治15年(1882年)8月5日に、太政官布告第三六号として「戒厳令」が制定され、明治19年勅令第七四号で部分的に改正されたが、昭和20年の敗戦により失効したことになっているようである。

 法律があるがために国が滅ぶのも、法律がないことが結果として国を滅ぼすのも、国が滅びてしまったあとでは、どうでもいいことではないかと考え込んでいる。

2011年06月23日



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