RSF 放射線安全フォーラム 本文へジャンプ
理事長コラム


1F原発周辺に住む住民の自殺に思うこと
加藤和明
2011年06月15日

 3.11以降、1F原発施設内で働く人々は勿論、原発施設外の一般住民(首都圏を含み、日本列島全体といっても良い)は、3.10以前に自然界から常時身に受けていた自然放射線および(国が使用を認めた)1Fを含む特定放射線源が齎す、実際には無視できるレベルの放射線への被曝に比較して、その値は人により大きく異なるものの、より大きな値の線量を身体に受けることを余儀なくされている。

 政府関係者は、国が国民を放射線の齎す“健康に及ぼす望ましくない影響”を排除するための国策のヨスガとしている国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に従い、“合理的に達成できる限り被曝線量の低減化”に努めようと、日々努力をされているものと思われる。

 しかし、我々の命の営みを脅かすものは放射線だけではなく、リスクの要因は多種多様であって、そのありようは、3.11の大震災を境に大きく変貌してしまったのである。非常時・緊急時にはリスク間のトレードオフを重視し、リスク管理に優先順位をつけることが求められるので、筆者は、2011年04月18日付の本コラムに「放射線リスクへの対応が原子力災害のリスクを増大させている」と書かせて戴いたが、残念なことにこの指摘・予測通りに時間が流れているようである。

 昨夜の「夕刊フジ」に、“福島の酪農家が「原発さえなければ」との遺書を残して自殺した”との記事があった。彼は、国の“放射線防護策”の犠牲となって命を落としたといってよいのである。

 放射線安全対策の“副作用”として、生活の質(QOL)が急激に低下したり、医療を継続的に受けられなくなるなどして、平均余命を大幅を縮めた人の数は計り知れないくらいに大きいことを知るべきである。

2011年06月15日



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