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風評被害と原子力船「むつ」
加藤和明
2011年06月13日 |
1F原発事故に伴い1隻の海洋観測船が福島沖で“放射性汚染”の監視に当っている。その船の名は「みらい」という。この船の前身が1974年(9月1日)に太平洋上で行った初の出力試験で微量の“中性子線漏れ”を起こして大騒ぎとなり、数奇な運命を辿った「原子力船むつ」であることを知る人は少ないものと思われる。かくいう筆者も昨日の日本経済新聞「春秋」欄で教えられ初めて知ったことである。
「むつ」号の“放射線漏れ”は当初“放射能漏れ”と報じられ、深刻な“風評被害”を引き起こした。陸奥湾で行われていたホタテ養殖など壊滅に近い被害を受け、手を焼いた政府は、“水産のドン”と呼ばれていた、時の与党総務会長SZ氏に“鎮静化”の役を委ね、何とか治まったのであるが、そのとき彼のとった“手法”があとあとまで、大変に良くない影響を及ぼすことになったと、筆者は考えている。
それは、言ってみれば“お金の力”に物を言わせるという“対症療法”であった。このあとこの国ではあちこちで“ゴネトク”を狙っているとも思える反対運動が激しくなって行った。辛くともここできちんと“根治療法”に努めていれば、今度の1F原発事故においても、合理性を欠く風評被害の幾分かは軽減できたのではないかと悔やまれるのである。
大体「むつ」の“放射線漏れ事故”など、最初の1カ月、日本を代表する新聞でさえ「放射能漏れ事故」と言い続けていたのであり、誰しも今の時点で問われれば、果たして“事故”の名に値するのかと、訝しく思うのではなかろうか?
この時のことで、個人的には忘れえない思い出が在る。それは、原子力安全委員会(NSC)ができる前のことで、NSCの役割をも担っていた原子力委員会の某先生が筆者に「漏れた中性子は何処へ行ったんだろうね?」と尋ねるように語りかけられたことである。素粒子論を専門とする物理の大先生で某国立大学の学長を務められた方である。素粒子の中でも最もpopularな中性子について、その本性は誰より知りつくしていることは間違いないのに、原子炉物理の範疇に属する事柄になると“専門外”となるのだということを教えられ、改めて“専門家”という言葉の持つ意味について考えさせられたのであった。
原子力船「むつ」は、事故後、母港である陸奥大湊港への帰港を反対されたために、16年に渡り日本の港をさまよい、度々の改修を受けて4度の実験航海後、新設されたむつ市関根浜港へ回航され、原子炉部分を解体して、通常のディーゼル機関船に変えられ、海洋観測船「みらい」となったのである。今回このような形で、再び“原子力”と関わりを持つにいたった運命を「みらい」はどのように感じているのであろうか?
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2011年06月13日 |
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