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理事長コラム


3.11の 1F原発事故から 3月経過して考えること
加藤和明
2011年06月11日

 国の金庫が“空っぽ”だというのに、東日本大震災という未曽有の災害に襲われ、政府は“復興”の対策に苦しみもがいている。金庫は空っぽでも、復興の対策は必要であり待ったなしである。厳しい境界条件(=束縛条件)の下では、対策の選択肢は多様化し、しかも背後に“利権”が付き纏うためか、政治家の動きを観ていると、「地元住民の苦しみを一刻も早く低減させる」ことは二の次で、いわゆる“政局”の行く末の方に関心が集まり、今日で3月経過というのに、“急を要する対策”が一向に捗っていない。

 外国の友人たちの目からすると、日本という国は“理解の難しい国”となっているようである。

 国民がパニックに陥ることを恐れて、“情報”は得ているのに敢えて公表しなかったり公表を遅らせたのか、実際に“情報”を得る能力が欠落していてそういう結果になったのか、筆者には分からないことであるが、真実はどちらであったとしても海外の知識人からは到底高い評価は得られない。

 官邸は、国の金庫の中身を心配するあまりかと思うが、東京電力(TEPCO)が第一の当事者であるとの理屈で、いわゆる“補償”の経費を、できる限り負担させたい考えのように見え、またそのためか“事故処理”の責任もTEPCOが負うものと決め付けている。

 しかし、これは、海外の友人に言われるまでもなく、本来“国の制度設計”の論理に照らして考えると、誰にも分かる“おかしなこと”なのである。

 国が採ってきた「国民を“放射線の(望ましくない)影響”から守るための方策」は、(放射線の使用を規制することではなく)特定の放射線源の使用を規制することによって達成しようというものである。原発はまさにその代表的“特定線源”である。国民は国からの許認可を得なければ、これらの特定線源を造ることも、所有することも、廃棄することもできないことに定めている。従って、建設・稼働の許認可を得た者が、国の設定した認可条件の下で“事故”を起こした時には当然その結果について責任を問われることになるが、それに該当しないところで、もっとはっきり言うと、国の設定した条件に瑕疵があったり、既定の条件への適合審査に不足があり、それが主たる原因で起きた事故に対しては、許認可を与えた者に責任が移る、とするのが、当然の“論理の帰結”となる。

 「自衛隊は戦場には派遣できないこととなっている。だから自衛隊が派遣され駐屯している地域は“危険”ではないのである」などと、国の最高指導者が国会で堂々と述べたりするものだから、海外の知識人には呆れられているのであり、国の外交に大きな障害を齎していると思われる。

 この国の指導者には、世界中から尊敬されるような“舵裁き”で国を運営して貰いたいと切に願う次第である。
2011年06月11日



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