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理事長コラム


福島第一原発の災害に思うこと
加藤和明
2011年04月07日

 放射線の安全管理について語る時、私はいつも次の 1. 2. を枕詞のように強調してきたが、これからは 3. をも付け加えることとしたい。 
  1. 放射線が人体に及ぼす“望ましくない影響”から国民を守るために、国が定めた制度設計、すなわち関係法令は、“放射線の使用を規制する”のではなく“特定の放射線源の使用を規制する”というものである。それはICRP(国際放射線防護委員会)の勧告を順守するという形で行われているが、ICRPのシステムでは、そもそも“事故”や“戦争”によってもたらされる放射線被曝は対象とされていなかった。
  2. 放射線防護の要諦は「安全管理のシステム設計とその運用」に在る。
  3. 平常時の(使用を認可された特定線源の、許可条件下での使用を前提とする)放射線管理システムと、(戦争とか大事故・大災害によって引き起こされる)非常時の放射線管理システムは、防護の目標や手法、管理基準の設定、などの点で、全く別のものと考えるべきである。
 システムが平常時用と非常時用、別々に定められていようと、両者併せて1本化したものであろうと、重要なのは“被常事態”発生に際して、「管理システムを切り替える」旨の宣言を、“安全管理に最終的に責任を負う者”が、内外に向けて発することである。

 国から許認可を得た者(「法的使用者」)は、当該線源の使用に係る安全確保に責任を有し、使用に際して“非常事態”の発生を、放射線取扱主任者(国が制度設計として選任を定めている“放射線安全管理に係る”助言者である)の助言や勧告によって、もしくは自身で認識した時には、ただちに管理システムそのもの、もしくは運用の変更を宣言しなければならない。そうでなければ、放射線安全管理の実務にあたる責任者は、例えば、放射線業務従事者の放射線被曝管理や区域・環境の空間放射線レベルや放射能汚染レベルの管理基準を切り替えることが出来ないのである。

 事故や災害の規模が大きくなって影響が施設の外に及び、法的使用者の能力では、許認可にあたって課せられた要件を満たせなくなった時には、(許認可を与えた)国が、周辺住民や国家そのものの安全確保に努めなければならないので、今度の福島第一原発の災害のような場合には、総理大臣が「国家が非常事態に在る」ことを宣言し、平常時の各種関連“法的縛り”を解き、新たな方策を示さなければならないのである。

 この度の災害では、ここのところが抜けてしまったので、瓦礫の処理にあたって船は国土交通省(旧運輸省)、別の物体は別の省庁、と所管の区別が障害となったり、その時点でも有効とされた“暫定基準”を少しばかり超えたからといって出荷をすべて禁じてしまったため、少し時間をおけば飲用可能となるであろう牛乳をも全て捨て去る結果となったり、納豆はつくれるのに、食品内容の表示をする包装プラスチックや印刷インクが地震・津波の影響で生産量が激減したことにより用意できなくなったため商品として出荷できずに消費者と生産者の双方が不便している、などいった事象が起きているのである。

 非常事態の宣言を怠ったことにより、命令系統や管理基準の変更を含めた法の運用、に混乱が生じ、例えば、高レベルの放射性たまり水の処理に右往左往し徒らに時間を費やしてしまい肝心の原子炉本体の安定化の作業に手を付けられなかったことは、慙愧の極みである。「指導者には洞察力と決断力が求められる」という、防災の専門家である山村武彦氏の言葉をすべての関係者にお届けしたい。

 今回の災害は、この国の国防に関わる“制度設計”に欠陥が多いことをマザマザと見せつけてくれた。先ず“内閣危機管理監”の職に就いている伊藤哲郎なる人物の顔が一向に見えてこない。このような職が設けられていることを知っている人すら殆ど居ないのではあるまいか?原子力に関して言えば、原発で事故が多発したとき「原発の新設や定期点検後の運転の許可を出すことが役目の役人」として“運転管理専門官”が閣議でつくられ、各原発に置かれた筈である。また、JCO臨界事故(1999年9月)の後「原子力災害対策特別措置法」がつくられ(平成11年12月17日制定)、文科省と経産省にそれぞれ“原子力防災専門官”を、また、正副の“原子力防災管理者”をそれぞれの原子力事業所に置くことが決められた。そもそも、原子炉には国家資格を持つ“原子炉主任技術者”を選任しなければならないことになっているのであるが、今回の災害では、これらの任務に就いている人たちの姿が全く見えてこない。原子力防災管理者には電力会社の副社長クラスが就いていると聞くが、国の制度設計では、事業者側の“原子力防災管理者”についても、国側の“運転管理専門官”や“原子力防災専門官”についても、備えるべき要件が示されていない。恰好だけ付けて責任を果たしたと思いこみ、魂を吹き込むことを忘れてしまっているようである。




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