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便益間の二者択一
加藤和明
2011年02月25日 |
リスクと便益との間にあるtrade-offの関係については、放射線安全に係る議論でもしばしば取り上げられる。放射線を“リスク要因”の一つとして捉え、身体に暴露させることによる将来の“望ましくない影響”発現の可能性の増大を心配する視点と、放射線を身体に発生した有害な細胞を殺傷し消滅させる“便益の手段”と見做す視点が交差するときなどである。
“リスクの低減”は“便益の増大”と見做し、便益の概念を拡張すると、リスク・ベネフィット論も便益間に横たわる選択肢の選択に係る議論に含まれることになる。
22日にニュージランドのクライストチャーチで起きた地震災害で生き埋めになった19歳の日本人留学生が12時間後に救出されて一命を取り留めることができたが、その際、サッカー好きの若者とっては苦渋の決断であったと想像される、二者択一の“選択肢”が示された。すなわち、右足を切断してイノチを選ぶか、サッカーを楽しむためのイノチである右足を選ぶか、という選択である。勿論、彼は脚の切断を了承したのであるが、彼ならずともこのような情況にあっては100人が100人同じ選択をすることだろう。
昨年11月号の文藝春秋誌に「CT検査は必要ない」という論説を発表して話題を呼んだ慶応大学の放射線科医である近藤誠氏が、同誌3月号に寄せた「私がすすめるがん治療法」のなかに「肝臓がんなどで腹水が溜り苦しんでいる患者にとっては二者択一の治療選択肢がある。すなわち、余命期待値は低下するが腹水を時々抜くことにより苦しみを軽減させる(A)か、痛くとも我慢して長生きする方を選ぶ(B)かで、その選択は、結局患者の価値観・人生観によって決まる」といったような趣旨のことを書いているのを読んで感心した。人の放射線との付き合い方も、究極的には、まったく同じことになるからである。
チェルノブイリ原発で事故が起きたとき、日本では実際上レベルに拘わらず“放射性汚染”が見出された輸入食品は、お母さん方が拒否反応を示し、すべて破棄するか送り返すことを求めたのであったが、情況が変わって、それを口に入れなければ“餓死”もしくは“体力低下に伴う感染症罹患のリスク増大”が不可避と分かってもそうするのだろうか?
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