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理事長コラム


原子力と放射線に係る安全と安心
加藤和明
2011年02月19日

 今日「リスク」という言葉は非常に広範に使われていて、分野によっては含蓄する意味合いが微妙に違っていて、そのためリスク管理の目標や手法にも結構“個性”があるようである。実は、世間で殆ど親子くらいの関係と思っている“原子力”と“放射線”の間にもそれは認められるのである。

 本来は、“原子力”“放射線”“事故”“被曝”などの定義、すなわち概念規定をキチンと行わない限り、安全に係る議論は噛み合わなくなるのであるが、今日世間一般に受け止められているものを、非常に割り切って簡単に言うと、原子力(または「原子力安全」)でいう安全とは“事故を起こさないこと”であり、放射線(または「放射線防護」)でいうそれは“放射線の被曝を受けないこと”といえそうである。

 望ましくない事象の起こるリスクと呼び、事象生起の確率や、確率的 probabilisticあるいは確率論的 stochasticに起きる事象によって齎される(定量化された)“影響”の期待値がリスクの測度として用いられている。原子力安全(NS)の分野では災害の期待値が、また放射線防護(RP)の分野では致命的疾病(及び2世代下までに及ぶ遺伝的疾患)に罹患する確率がリスク表現の測度として用いられてきたという歴史的事実がある。

 原子力の事故が起きれば、一般市民を含めて関係者に放射性物質を体内に取り込むことを含めて放射線被曝の可能性が生じる。放射線の安全管理に係る方策や基準は、実際上、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告に準拠しており、その基本勧告は、数年~十数年の間隔で、間歇的に改定されるが、ここ数十年、いわゆる“ALARAの精神”なるものが強調されている。

 ALARAとは「合理的に達成できる限り被曝の低減化に努めよ(As Low As Reasonably Achievable)」の意味であり、導入したICRPの意図が仮にそうでなかったとしても、人々に「究極の放射線安全管理は(したがって原子力安全の究極的目標も)被曝freeである」との幻想を抱かせてしまう。その結果、人々は、原子力についても放射線についても放射線被曝の期待値ゼロを以って“安心”のヨスガとするようになったといえる。その意味でICRPがALARAの精神を強調してきたことには、大きな疑問を覚えるものである。

 原子力施設を作り稼動させたからといって事故が必ず起きるというものではないのと同様、放射線を身体に受けたからといって健康に望ましくない“影響”が必ず発現するわけではない。リスクは“影響発現の可能性”の測度であって“影響”そのものではないことにも意を注ぐ必要がある。放射線の被曝については、リスクを影響の表現体であるかの如く理解している人が少なくないことも問題である。放射線の被曝に係るリスクというものは、被曝後の時間が経過するにつれ(それまで幸いにして影響が発現しなかった人についてはその間のリスクが結果としてゼロであったと確定するので)減少していくものであることの理解も重要である。




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