RSF 放射線安全フォーラム 本文へジャンプ
理事長コラム


クリアランスに係る制度設計
−「10μSv」について考える −

加藤和明
2010年10月18日

 “放射線の使用”そのものではなく“特定の放射線源の使用”を規制することを基本に据えてつくられている放射線防護の現行制度設計においては、特定放射線源の“指定”と“解除”の基準設定が重要である。これに関しては、現在「除外」「免除」「クリアランス」の概念が導入され使用されている。(放射化や放射性同位体による非固定性の表面汚染を引き起こす可能性のある)管理区域から退出するに当たり、携行物品の中で帯放射能の管理基準を超えたものは、上記特定放射線源に組み込まれて管理下に置かれる。

 「クリアランス」とは“特定放射線源として管理されてきた物品を管理体系から外すこと”を意味しており、最初に書いた“解除”に他ならない。

 国の制度設計を具現化したものが法令であるが、特定放射線源の使用等の規制については、線源の種類や性質・性能、使用目的の別に応じて、複数の法令が縦割りで所管している。これらの規制方策は、国が「原子力の平和利用」を決めた1950年代に用意されたものであるが、クリアランスの制度については、原子炉や核燃料を対象とする原子炉等規制法が数年前に整備を終え、放射線障害防止法では今まさに導入準備の最終段階である。

 このクリアランスの判定基準として表題に書いた「10μSv」が使われているのであるが、その意味するところは、規制を解除された当該物品、すなわちクリアランスされた物品、から一般公衆(の構成員)が任意の1年間に受けるかも知れない実効線量の最大値(の目標)である。

 特定線源の使用に際して公衆の受ける実効線量の年限度は1mSv(=1,000μSv)と決められているが、それはリスクの管理目標を年1/10,000以下に抑制するという考えに基づいている(因みに、職業人に対する実効線量の年限度は、リスクの管理目標を年1/1,000に抑制することからきている)。

 クリアランスされた物品から一般公衆(の構成員)が受けるリスクの管理目標は、特定線源の使用に伴う公衆のリスク管理目標値の1/10、すなわち年1/100,000にしようというのが基本的考えであった。算術的には年1,000μSvの1/10なら年100μSvとなるのであって年10μSvとはならないではないかと訝るのが自然であるが、値が小さくなるにつれ、測定や推定に伴う不確実性が増大し、揺らぎの幅が増大することに配慮したものと理解している。このことは、結果的に“クリアランスの判定基準を検討する際のリスク係数”を10倍引き上げたことに相当することを注意しておきたい。リスク係数とは「単位量の実効線量が齎すリスクの値」のことである。

 ともあれ、クリアランスの判定基準の基礎が出来たので、規制解除となった物品から公衆が受けるかも知れない被曝線量を、外部被曝と内部被曝のそれぞれについての標準的な被曝シナリオを定め、それに基づいて実効線量を評価し、効力として満足できるとしたクリアランス判定法が行政当局によって定められ(原子炉規制法)、あるいは定められようとしている(放射線障害防止法)。内閣府所管の原子力安全委員会と文部科学省所管の放射線審議会の間で異なる見解が示されたこともあるように聞き及んでいるが、結果として、両者ともに、公衆の受ける実効線量を公衆に対する年限度の1/100、すなわち年10μSvすることで落ち着いたようである。

 クリアランスの制度をこのような形で導入したことから、新たな問題も生じている。元々、(放射化や放射性同位元素による非固定性の表面汚染が起こりうる)管理区域の内部で発生した“廃棄物”は、放射性の有無に拘わらず「放射性廃棄物」のレッテルを貼り、国の定める処分法に従って“処分”されるまで、永久に管理保管することが求められているので、実際上全く放射性同位体を含まない「放射性廃棄物」と、実際上有意の放射性をもつ「廃棄物」が、世の中に共存するところとなった。クリアランスされた廃棄物を「放射性廃棄物でない廃棄物」と呼び、原子力業界ではNRの略語を使っているが、監督官庁の担当官が最近NRに“有意の放射性”のないことを行政指導で求めてきた、という事件があった(当フォーラム「放射線安全検討会」での紹介)。これは、明らかにクリアランスというものの本質を見失った見解であり、看過できない行政のミスといわざるを得ない。

 付言するなら、“有意の放射性”という表現は定性的なものであって規定には馴染まないものである。検出器の感度に依存するものだからである。定量的な定義なしにこれを使うとき、人々の期待は究極的に“放射性free”ということになるが、一般的にいって“ナイこと”を証明することは不可能といってよい。また、仮に“1個でも放射性同位体を含むモノ”を“放射性”と呼ぶことにするなら、我々の身体を含め、目に入る物体は殆どすべて“放射性物体”ということになってしまう。“有意に〜”というときには、何を持って有意と見做すかの約束が必要なのである。

 論理的には、規制に対する免除と解除の基準は同一であることが望ましいのであるが、現状では大きく隔たっているので、それを少しでも狭めようとIAEAでは“大量 (1トン以上) の物品”についてはクリアランスのレベルを1桁上げることも検討されているようである(2010年10月8日に開催された第31回医療放射線の安全利用研究会での米原英典氏による講演)。

 以上は、自分なりに整理を試みた「クリアランスに係る制度設計の現状と解析」である。これに対する私の感想と希望を以下に述べる。
  1. クリアランスされた物品が公衆の構成員に及ぼすリスクのインパクトを、法規制の対象としている“特定放射線源”の使用に伴うそれの1/10に抑制することを目標とすること自体は肯定できる。
  2. それを“確率論的影響stochastic effect 発現の可能性”の測度である実効線量でもって表現するという手法も、国がICRP(国際放射線防護委員会)の創出・勧告するシステムに準拠して放射線防護の制度設計を行うこととしている以上、異を唱えるものではない。しかし、リスクと実効線量の換算において安全係数10を乗じることについては甚だしく不快感を覚える。 論理の展開に齟齬を来し、合理性を欠くことになるのみならず、国民に意味のない苦労・負担を強いるものだからである。これについては末尾で少し詳しく述べることとする。
  3. そもそも、ICRP等が評価を試みたり・公称値として勧告しているリスク係数(単位量の実効線量が齎すリスクの値)は、このような低線量・低線量率の放射線被曝に対しては、適用の限界を超えるものである。リスク係数が線量や線量率に依存するものであることはこの領域の専門家によく知られていることである。
  4. “クリアランスされた物品”をも“リスク要因”の一つと捉えてそのリスクの評価を試みることに異を唱えるものではないが、その結果得られた評価値が、リスク管理上特段の配慮を要しない、他の多くのリスク要因のリスクのレベルを下回ると判明した後においても、リスク管理に多額の経費や労力を要する管理システムを作り上げようという姿勢には異議を唱えたい。
  5. 判定の品質保証の一環として判定基準を変更(本件の場合には切り下げ)するという手法は、全くもって合理性を欠いたものである。このことにより、クリアランス判定の測定は極めて高コストのものとなり、一般の放射線事業所では、手に負えそうもないというのが現状である。
  6. 今日地上に住む者は、自然放射線により年間に大凡1,000μSvの被曝を受けている。年間10μSvという線量率は、自然放射線の線量率の変動幅より通常遥かに低いものであり、直接に分離測定することは実務的には不可能に近いものである。仮に技術的break-throughによりそれが可能となったとしてもそれによって得られる便益には見るべきものもない。年間10μSvの実効線量に相当するリスクのインパクトは、地表から460kmの高さで飛行を続けているISS国際宇宙基地では1日か半日で10μSvの100倍という被曝を受けているという事実から、容易に推測できることである。
≪Appendix≫

 放射線に関わる事象には微視的世界の特徴が滲み出るが、その最たるものは、「量の取りうる値が離散的にして確率的となる」ことである。それ故に、放射線に関わる量を測定し、その結果を基準値と比較しその大小を判定しようとするとき、その結果には必然的に不確定性が付随することになる。具体的には、「実際には基準値以下であるのに“基準値を超えている”と判定する過ち(第1種過誤)」と「実際には基準値を超えているのに“基準値以下”と判定する過ち(第2種過誤)」という2種類の過ちが常に付き纏うのである。

 放射線検出器はセンサーに入射する放射線粒子の数と生成・発信される信号数の変換装置と見做すことができ、信号の生成はPoisson分布と呼ばれる確率分布

    P(m,N) = exp(-m)・mN / N!

に従う。ここで、m は計数の期待値(非負の実数)、N は実際に得られる計数値(整数)を表す。

 クリアランス判定において、m をN0 に取った時の判定に伴う第2種過誤を小さくするために、例えばm をN0 / K、(Kは任意の正整数) に取ったとすれば、判定対象の状態m0がm0>m であるのにm0>m でないと誤って判定するリスクは確かに低減できるが、使用する測定器の検出感度をK倍に高める必要がある。

 検出器の性能を高めることをせずに判定の確度(判定結果が正しい確率)を高めるには、実は、判定を繰り返し行えばよいのである。判定をK回繰り返し、そのすべてにおいて判定基準以下の結果を得たならば、確度ξ= 1 − 2−K で “対象の状態は判定基準以下”であるといえる。測定時間をtとしてmt = ln2 (右辺は2の自然対数)にとると、Nが0となる確率と1以上となる確率は共に 1/2 となる。mをm0 / K、t をt として1回測定し N = 0 を得るのと、mをm0、t をt としてK回測定を繰り返し、その何れにおいても N = 0 という結果を得るというのは、「汲み出す情報の質に関して全く同等である」といえるので、線量率に直接的に結びつく“計数率”の測定とその結果に基づく“監視対象の状態判定”においては、判定基準を上げ下げする方法ではなく、判定を繰り返すという方法によって判定結果の確度を高めるのが合理的と考える。第1種と第2種の過誤はtrade-off の関係にあり、片方を高めるともう一方はそれに応じて低くなり、同時に判定の能力(判定を試みて満足できる結果が得られる割合)が低下するからである。クリアランス判定のように第2種過誤の低減に重きを置く場合、検出器の感度を高める必要があり、資材や見合った技術レベルをもつ人材の取得に苦労が増すということになる。しかし、より根源的な問題は、バックグラウンド(BG)として存在する自然放射線の存在である。BG計数の変動幅より遥かに小さな計数の測定を求める手法というのは、上記の問題点の吟味する以前に、合理性を欠いていることを知るべきである。
 
(2010年10月20日 改訂)



前回のコラム 次回のコラム



コラム一覧