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理事長コラム


放射線作業者の被曝管理に係る学術会議の提言について
加藤和明
2010年09月23日

 かつては「科学者の殿堂」と呼ばれたこともある日本学術会議が、平成22年(2010年)7月1日付で『提言:放射線作業者の被ばくの一元管理について』という文書を発表した。 作成したのは「基礎医学委員会・総合工学委員会合同 放射線・放射能の利用に伴う課題検討分科会」である。

 その趣旨は、放射線作業者の被曝管理が、線源を所管する法令の違いにより、整合を欠いた形で個別に行われているので、国全体としての放射線作業者の数や総被曝線量の把握等が困難であり、また個人レベルでの就業期間中の線量集計などが適切になされていないケースなどがあるため、@ 放射線施設の種類や作業場所ごとに行われる被曝管理の結果を個人毎に集約(いわゆる「名寄せ」)すること、A 国として、すべての放射線作業者について、業務上受けた放射線被曝のデータを、過去を含め全て、個人毎に集約することが望ましいというものである。

 これに対する、筆者の感想と見解を述べてみたい。 結論から先に言うと、
  1. 問題の所在を把握し改善を図るための提言をされたという“行為”には、敬意を表したい。
  2. しかし、この提言が仮に受け入れられたとしても、そのことによって国民が受ける恩恵は、労力・経費の大変さに見合うものとは思えない。学術会議がうたっているように国(=行政当局に一部)には何がしかの“便益”はあるであろうが、筆者の目には概して些細なことのように思われる。
  3. 問題の“根”はより深いところに在るのであって、それを顧みることをせず、言ってみれば“うわべ”の取り扱いだけを“対処療法”的に変えてみても、解決にならないどころか、目指す目標(効果)にも到達できないものと思われる。本質的に重要な課題は「縦割り行政に基づく制度設計の齎す弊害の指摘とその除去対策の提言」と考える。本提言もこのような課題の一部として位置づけ、そのような枠組みの下で組み立て直すことをお勧めしたい。
 筆者が何故にこのように考えるかを以下に記す。 先ず最初に強調したいことは、物事を比較したり統一したりしようとするときには、一般的に言って、前提条件を揃える必要があるということである。 学術会議が今回取り上げたテーマを議論するに当たっては、これが極めて困難な状況にあるというのが筆者の認識である。
  1. “職業人の被曝線量”と“職業被曝”は同じものではない。“航空機乗務員や宇宙飛行士が地上とは異なる自然放射線の環境に置かれて浴びる自然放射線起因の被曝”や“事故・災害時に受ける消防士・医師・マスコミ関係者の被曝”は前者であり、後者は国が指定する“特定放射線源”の使用等に関わる“業務上の当該線源起因放射線への被曝”と解されるのが普通である。
  2. “職業被曝”にしろ“職業人が業務上受けたその個人の被曝線量”にしろ、これまですべての対象者に測定・評価がなされてきた訳でもなく、今日においてもそれは変わっていない。
  3. 上記“特定線源”の指定が、縦割り行政の下で行われていて、「放射線作業の指定」「被曝線量測定・評価のための用具着用の必要性の判断基準」「線量測定・評価に係る品質基準」「管理区域の設定および入出管理の手法」等に係る規定が(有無を含めて)不統一である。
  4. この国としては極めて異例なことのように思えるが、作業者等の被曝線量や環境の放射線レベルの測定を企業として行うことに、国家の認可は必要とされていない。国内の大手企業4社は自主的に“技術基準”を定め、信頼度の維持や能力の向上に努めている(個人線量測定機関協議会)が、国の制度設計に基づくものではない。
  5. (原子力発電に係る狭い意味での)原子力業界では、“特定線源”の使用者(許認可を与えられた者の意)が、その線源に関わる全ての人間(職業人+非職業人)の線量管理や職業人の健康管理に責任を持ち、一元的にそれを為すことには困難があるので、自前の仕組みをつくった(放射線従事者中央登録センター)が、これも国の制度設計の下でつくられたものではない。
  6. 放射線作業を必要とする施設の数が増え、規模の大きなものも現れるに至って、国外を含め、複数の施設に関わりを持ち、それぞれにおいて“職業被曝”や“公衆被曝”を受け、場合によっては“事故・災害に起因する被曝”を受ける者が増えている。“特定線源”に関連する“職業被曝”の把握を統一的に行うことは、現行の制度設計の下で行われている現状では、望むべくもないことである。
  7. 国民が受ける可能性のある放射線被曝の種類が多数ある中で、国が使用等を規制する“特定線源”に関連する“職業被曝”の国民線量への寄与は極めて小さいものであり、その把握を統一的に行い得たとしても、それによって得られる“利益”は、国家的には限定的である。リスク要因としての放射線は、その出自や、人体が暴露されるに至った理由によって異なるものではないからである。しかし、医療界において治療方針等の決定権を担当医師から患者自身に移す動きが活発になっており、職業被曝に係る個人のリスク管理は当人の裁量に委ねられて然るべきだとする考えがこれから世の中で支配的となってくることが予想され、その視点からは今回の学術会議による問題提起は歓迎されるべきことである。国はそのための環境整備に努めることが強く望まれる。
  8. 放射線の利用なしには成り立たない今日の医療において、医療の計画、効果の判定、医療技術の発展、等に“放射線の線量”を測定し評価する仕事は不可欠であるが、これらの線量は、医療の現場にも必要な“職業人”や“公衆”の“放射線防護のために必要とされる線量”とは別のものであることに、注意を要する。このことに対する社会一般の理解は高いとは言い難いものである。
 以下は、放射線防護を専門としない方々に上記の小文をお読み戴く際の便を考えて、背景の解説を筆者の理解に基づいて試みるものである。

<放射線被曝の要因による分類と国の放射線防護に係る制度設計の考え方>

我々は、熱や光なしに生きては行けない。 放射線についても同じであるといってよい。 我々の生存する自然界には放射線が充満し、摂取によって後刻放射線への被曝を受ける要員となりうる放射線源もありふれたものである。 熱や光同様、我々の命の営みに摂取が不可欠な空気や水にも何がしかの放射性同位体(放射線を放出する原子核からなる原子)が含まれているし、我々自身の体内にも、素材である物質に、例外なく天然の放射性同位体が含まれている。

 加えて、今日の長寿命社会を支えている主役の一つである医療は、放射線の利用なしに成り立たないものである。 W. C. レントゲンが1895年末にX線を発見して、人類は放射線というものの存在と利用価値を知ったが、その後沢山の種類の放射線が発見され、医学以外にも、文明発展の重要な手段としてなど、様々なところで使用され、また高度に発展した文明の成果を享受する上で、使用若しくは副次的に生成される放射線との付き合いも避けられないものとなっている。 また、人類は、地球の大気圏内は勿論、大気圏の外においても、活動する機会を得るようになり。 また、地球という天与の“自然”にも手を加える度合いが増大し、自然界にある放射線への被曝が、質・量両面で変化の幅を広げてきている。

 宇宙は137億年前に誕生し、その歴史の中で、地球は46億年前に出来、生物が約30億年前に現れた。 人類が現れたのは、猿人が400~300万年前、原人が~180万年前、旧人が50~30万年前のことといわれている。 地上における自然放射線の強さや性質は、地球の歴史を遡るに連れ、放射線の量は強くなって行き、またその性質も変わって行くのであるが、我々の祖先はそのような環境の下で生命を営んできたのであり、また種としての生命断絶の危険を“進化”という手法によって回避してきたといってよい。

熱や光と違って放射線は通常我々の五感に訴えないが、それは人類がレントゲンによるX線の発見をきっかけに色々の放射線や放射線源の存在を知り、多種多様の放射線と多種多様に付き合うようになるまでは、自然界に在る放射線が、実際上“個人の生命に係るリスク”の要因として重要なものではなかったことを示しているともいえる。 種としての生命消滅というリスクへの備えは“進化”という手法によっていて、自然界にある放射線がそれへの引き金として結果的に役立ってきたと思われるが、それは放射線に対して検知・定量のセンサーを人体に備えることを要求することにはならない。

 放射線は、熱や光の場合と同様、度を越して、大量に被曝すると、健康にとって望ましくない影響を受けることは、レントゲンのX線発見後直ちに知られるところとなった。 その後、人類が使いこなす放射線や放射線源の種類や数量は増え、それによって享受できる便益が増大するとともに、付随するリスクの抑制・制御への対策も必要となってきた。 科学技術の急速な進展は、人が放射線に暴露する可能性を拡大し、それに与る放射線の種類や量も、それまでのものと大きく異なる場合のあることが認識され、ここに“人体の放射線に対する感覚欠如”を補償する手段の獲得が必要とされるに至ったのである。人体が放射線の安全管理に対してsensorの機能を有していないことに対しては、すでに科学技術の力でそれを補償する術を持ち合わせているが、これは「科学・技術の齎す問題は科学・技術の力で解決できる」という筆者のoptimisticな持論を裏書きしてくれるものとなっている。

 国民を“放射線の持つ潜在的危険性から防護する”ために打ち建てた現行の国の方策(制度設計)は、国が“原子力の平和利用”を始めることを決めた昭和30年代の初め(1950年代中頃)に決められたものである。 その目標・対象・方策等をここで詳細に紹介することは困難であるが、「特定の放射線源を指定しその使用等については許認可の対象とする」「特定放射線源に起因する放射線に限定して被曝を管理する」「特定線源の使用等に許認可を得た者に、当該特定線源の使用に関わる全ての人の“安全管理”(“被曝管理”や“健康管理”を含む)に責任を負わせる」「安全管理を受ける者を“職業人”と“公衆”に区分する」「被曝管理の基準は、職業被曝と公衆被曝については国が統一的に定め、医療被曝については担当医の裁量に委ねられる」などとなっていて、細かな修正は幾度か行われたものの、基本的には今日に至るまで継続して使用され続けている。ここで特筆すべきことの一つは、“特定線源”の指定や管理運用の方法が、行政の縦割りに沿って行われていることである。

 放射線に身を曝す(暴露の)ことを“放射線被曝”と呼ぶが、被曝の要因は今日多様化していて、可能性の多寡を問わずに羅列すると
  1. 自然放射線による被曝:天然の放射線源に起因する放射線や自然界に存在する放射線への暴露
  2. 医療被曝:治療や発症予防の目的で行われる診断や癌などの治療を目的に、医療機関で医療対象者が受ける放射線被曝
  3. 職業被曝:国の指定する特定線源の使用、製造、保管、運搬、廃棄、等(以下「使用等」)に関わる職業に従事する者(医療機関における医療放射線作業従事者も含まれる)が受ける、当該特定線源起因放射線への暴露
  4. 公衆被曝:上記特定線源の使用等により公衆(医療機関における医療放射線作業従事者以外の者も含まれる)が受ける当該特定線源起因の放射線被曝
  5. 非特定線源(指定基準を満たさないことなどから“指定免除”となっている線源や、経年変化により指定の基準から外れたために“指定解除”となった線源)に起因する放射線被曝:100万電子ボルト未満の加速器や“有意の放射性を有する消費財(NORM)”や“クリアランスを受けた廃棄物”がこれに含まれる
  6. 事故や災害(自然災害や不可抗力による事故)に起因する放射線被曝:チェルノブイリやJCOでの事故時に職員や住民を含め関係者が受けた被曝はこの範疇に入る
  7. 戦争や犯罪(テロ行為を含む)に起因する放射線被曝:広島・長崎での原爆被災やビキニ環礁での水爆実験に伴って住民等が受けた放射線被曝など
と多彩である。

 これらの被曝要因から、今日実際に日本国民が受けている被曝の実態は、国民線量の大きさとその内訳を見ることで理解できる。 国民線量とは「国民全体が一定期間当り(通常1年間を使う)に受ける実効線量の総和を全人口で除したもの」を意味する。 1992年に(財)原子力安全研究協会が発表した調査結果では、評価値が3.75mSvであり、その内、大略60% が“医療放射線被曝”、40% が“自然放射線による被曝”であった。 同財団では、最近また調査を行っていると聞くが、傾向に大きな変化は見られないものと思われる。

 学術会議が今回取り上げている「放射線作業者の被曝線量」というのは、被曝線量の上記分類中Cに掲げるものだけに関わるものであり、国民線量に占める割合は1% にも及ばないものである。



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