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理事長コラム


依らしむべからず,知らしむべし!
加藤和明
2010年09月15日

 “便益の追及と危険の回避”は、あらゆる生物に備わっている本能的欲求であり、ヒト以外の生物にとっては、最も重要にして唯一の“行動の指導原理”となっている。ヒトの場合にも、この本能的欲求は「基本的人権」であると見做され、無意識的であるにしろ意識的であるにしろ、実際上、“行動の指導原理”の最上位に在るものと思われる。

 その意味において、個人のリスクに係る“行動”の採否については、当人に意思の決定権が与えられるのが本来の望ましい姿である。しかしながら、科学・技術が高度に発展するにつれ、リスクの管理に高度の知識と技能と道具を必要とするものが現れ、それを専門的に習得しない者には、個人の力量では自分(および、身近にいる家族や自分のために働いてくれている人々)のリスク制御が困難なものが増えつつある。五感に訴えない放射線への暴露はその代表的なものであり、この種のリスク要因として最も早くに認識されたものである。

 熱や光との付き合いなしに我々は命の営みを続けていくことはできないが、短時間に度を越してこれらに暴露すると、健康にとって望ましくない影響を受ける。実は、“熱や光”を“空気や水”に置き換えても、また“放射線”に置き換えても、上記の記述はそのまま成り立つのである。

 国民が放射線への暴露によって健康に望ましくない影響を不当に受けることを防止するために国が採用している方策は、他の先進諸国同様、結果として国際放射線防護委員会(ICRP)の創出・勧告しているシステムに準拠したものとなっているが、そこでは、父権主義の立場で、特定の放射線源に由来する職業被曝と公衆被曝については国が、医療に伴う患者の被曝については担当医師が、リスク管理の基準を定めることとしており、前者は一律、後者は医師の裁量に委ねられるもの、としている。また、先に述べたように、放射線の場合にはリスク管理に、それなりの「知識・技能・道具」を必要とされるため、その任に当たる者に国家資格(放射線取扱主任者)の取得を義務付けているが、医療の現場では、医師免許所有者に無条件でこの国家資格が認められている。

 医療というのは、そもそも、患者に対し便益の可能性と危険の可能性(リスク)の両者をもたらすものである。医療の手段が多様化するにつれ、どれを選ぶかによって、いわゆるリスク・ベネフィット比が異なってくるようになった。今日医療の世界では、その選択権は患者自身に与えられるべきであるとの考えが強くなってきている。医師には Evidence-Based Medicineを使うことが求められ、患者にはリスク管理に必要な情報は漏れなく開示されるべきであると説かれるようになってきたのである。医療保険でも、患者が医療の別の専門家(医師)から、いわゆるセカンド・オピニオンを得ることを認めるようになった。

 このように、医療の世界では“患者の個人リスク”に係るリスク管理を担当医師任せから、勿論、患者自身にその判断能力があり、本人がそれを望む場合に限定されることではあるが、患者自身に移すようになってきたのである。

 翻って、医療以外の世界では、国家が斉一的に、職業被曝と公衆被曝の管理基準を定めているため、例えば、放射線への暴露を避け得ない研究者が、あともう少しで、学位取得なり、場合によってはノーベル賞等授与の栄誉にも浴することにもつながる研究を完成させられるという時に、被曝管理上の制約から、研究の続行を遮断させられる(いわゆるdoctor stop)ということで、個人やその者が属する社会や国家にとっての“便益”追及に、過度の介入をしてしまうという“危険”を秘めている。便益享受の可能性や得られる便益の大きさは、時間との勝負の結果として決まることが多いのである。

 こんにち、宇宙飛行士に憧れを持つ国民は多いが、例えば国際宇宙ステーションISSでは、地上において1年間に受ける自然放射線の線量を、1日か場合によっては半日以内に受けてしまう。公衆に対する(特定線源由来の)線量管理基準として国が定めた値は、地上における(自然放射線由来の)年線量に相当するものである。宇宙飛行士に対する“職業被曝”としての管理基準を国は別途定めているので、上に述べた“父権主義的立場”をも踏まえていることになるが、宇宙飛行士の候補は概して“知的水準”が高く、採用後はリスクに係る情報も well-informedの状況に置かれると思われるので、実際上は、各個人が、自らの意思でリスク・ベネフィット比の算出を行い、(応募または実際の飛行という)行動の意思決定を行っている、といってよい。いうまでもないことであるが、宇宙飛行士にとっては、重視すべきリスク要因としては放射線被曝以外のものもあり、現状では、リスク・ベネフィット比の算出において放射線被曝の寄与は支配的なものとはなっていないことにも留意する必要がある。

 ICRPが説くALARAの実践は、時として、個人の基本的人権を不当に蹂躙することがあることを知るべきである。



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