RSF 放射線安全フォーラム 本文へジャンプ
理事長コラム


Validityについての追記
加藤和明
2010年08月14日

 例によって、内容が分り難いとのご批判があり、具合例で補足させて戴くことにした。毎度あちこちに書いていることであるが、我が国では、特定の放射線源について、使用や保持や廃棄等に規制を掛けている。何をもって「特定の放射線源」と見做すかについては、出来栄えの良し悪しは別として、厳密な規定(定義)がなされているが、許認可の規準については必ずしもそうなっていないところも多い。

 許認可申請の書式は決められており、記載すべき項目も関係法令に明記されているのであるが、許認可に際しての判定基準は明確でないものが少なくない。

 そこには、例えば「使用目的」「使用方法」「使用施設の位置」などの記載が求められているが、どのような要件を満たせば可とされるかの判断基準は示されておらず、担当官の恣意的判断に委ねられているように見える。

 「使用目的」として“理学の研究”が認められたことのあることを知っているが、“防衛学の研究”あるいは“新型武器の開発”などと書いても許されるのか?もう少し突っ込んで書くなら、申請者が防衛省の研究者であれば許され、一般大学の研究者なら許されないのか?“ナニナニ型加速器の性能向上のための研究”ならよくて“ナニナニ型加速器の武器への転用可能性の追求”などと書いたら許認可は得られないのか? 「使用施設の位置」として「地崩れのおそれ」や「浸水のおそれ」を書かねばならないが、「近くの河川や海まで100m以上離れている」とか「この50年間、近くで地崩れを起こしたことがない」といった記述で審査をクリアした例を知っているが、100mが400mや50mに変わっても、50年が10年や100年に変わっても、“判定”に影響が出ないように思われる。実際、筆者が現役であった頃にはそうした例が日常的に目についたのである。

 当フォーラムの「放射線安全検討会」における議論などで、昔高級官僚として鳴らした御仁から「官僚に過大の期待をされても困る」などの声も聞かれるし、確かにこれまで経験したことのない“新規”の事態については、“国として持てる力”を何らかの方法で集約・活用できる手立てを考える方が実際的であり、効果的でもあると思われる。しかし、これはpragmatismを哲学とするアングロサクソン流の手立てであるともいえるので、立法の哲学を異にして来た日本の“法体系や行政指導”には馴染まないのである。

 一方で、世界はglobalizationの掛け声で、世界のsuperpowerアメリカの基準が標準とされるようになってきた。彼らの流儀に従うならば、例えば何をもって安全と考えるか、実際に取られた対策がその要求に即したものといえるかどうかを、“特定放射線源”の使用許可申請者が、それぞれを外部の“中立的・第三者”の専門家・専門機関に制定と判定してもらい、それを添えることが、望ましい“制度設計”ということになる。そして、実際それが世界の常識となってきているように思われる。



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