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理事長コラム


リスク係数と易動度
加藤和明
2010年03月11日

 日本で知識階級に広く読まれていると思われる朝日新聞の最近号(2010年03月08日夕刊)に、これも日本を代表する医学者のお一人であろうと思われる方(坪野吉孝・東北大学教授)が、『放射線被害 幅広く認定を』という一文を寄せておられる。

 “放射線による健康被害として心臓病と脳卒中への影響を調べた論文が、英国医学雑誌に1月掲載された。”と書き起こし、
 “広島と長崎で原爆に被爆し、1950〜53年の時点で生存していた86,611人を対象にした。”
 “被曝線量が1グレイ高くなるごとに、心臓病の死亡率は14%ずつ、脳卒中では9%ずつ上昇するという結果だった。”と紹介し、
 “論文を機に、原爆症認定の対象に脳卒中を加え、放射線労災の対象に多くのがんと心筋梗塞と脳卒中を加えることを検討すべきだろう。”と結んでいる。

 執筆者のプロフィールを Internetで見せて戴いたら、疫学・公衆衛生学がご専門のようで、医学系研究科で「臨床疫学」等を、法学研究科で「健康政策学」を講じておられることを知った。1962年のお生まれで東北大学医学部・同大学院のご卒業である。

 筆者は医学の専門家でもないし、原論文を読んだ訳でもないので、原論文が主張している学術的内容についてはノーコメントであるが、この記事を読んで、少なくとも、次の2点が気になって仕方がない。これらは、この種の記事・情報に接するたびに、思い起こし続けてきたことである。
@ 先の戦争で“被害”を被った国民は多数であり、多種多様である。その多くは既に没しているが、現存者は原爆被災者だけではない。死亡者・現存者の別を問わず、戦争で被害を受けた国民が全て補償されているわけではなく、新たに見出されたとする“原爆症”について、今日まで生き延びた一部被曝者にのみ“国家補償”するというのは、時間軸の上での公平さを欠くものとなるのではないか、との思い
A リスク係数(単位線量当りに増加する死亡率)や疾病の発生率を表現するのに%を使うこと
 前者については、「世間(というもの)は、“空間的公平さ”への要求は強く主張するが、“時間的公平さ”については、随分と鈍感であるらしい」と書き足すだけにしておくが、後者については少しばかり敷衍しておきたい。

 百分率(%)というのは、総枠が決まっているモノの内訳を表すのに用いるべきもので、例えば、加速器で加速した荷電粒子の速さが(真空中における)光速の99.999%とか、現在の日本国民のうち100歳以上の者の割合、などという使い方はよい(前者は光速が一定であるという前提があり、後者は時刻を固定することで総数が固定される)が、リスク係数というのは、要因の割合が変われば係数が変わるものなので、使ってはいけないものなのである。人(に限らず生物というもの)は、“必ず死ぬことになっている上、それは1度だけのこと”と決まっているからである。

 上記の記事に在るような書き方をすれば、20グレイの放射線被曝を受ければ心筋梗塞で2.8回死亡し、脳卒中で1.8回死ぬことになる。これだけ大きな数字になると大概の人は“おかしさ”に気付くと思われるが、実は、微量の放射線被曝に付随するリスクの評価に、気付かずにこのロジックを使用しているケースが実に多いのである。その意味では、リスク係数を表示するのに%を使っているICRPの罪は深いと思う。上の伝で行くと、20グレイの被曝を受けると1.2回の期待値で“がん死”することになるが、実はそれ以前に“急性放射線症”という“確定的影響”で100%死亡する。

 媒質中におかれた荷電粒子は、電界を加えると電気的な力が働いて動き出す。そのときの速さ(=速度ベクトルの大きさ)は、一般に、加える電界強度の大きさに比例する。その比例係数を易動度mobilityと呼ぶ。半導体電子工学や放射線物理学の分野で重宝されている概念であり量である。導入当初の予想に反して(?)、mobilityは電界強度に依存しない定数とはならなかった。それでも、この分野の科学者や技術者は電界強度の関数としてこの“定数”を使いこなしてきた。

 放射線防護の関係者にも、防護の分野で使われている係数の使用に当ってはこのような注意深さと誤った使い方を避けるための工夫が望まれるのである。
(2010年03月14日修正)



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