RSF 放射線安全フォーラム 本文へジャンプ
理事長コラム


クリアランスという言葉の受け取られ方
加藤和明
2010年11月10日

 昨夜、今月定例の「放射線安全検討会(アリーナ)」が開かれた。先月のテーマ「放射線障害防止法に係るクリアランス制度の導入」に引き続くものとして、日本保健物理学会が検討していると伝えられる「表面汚染測定を用いたクリアランスの判断方法」をテーマがテーマとされ、今回も活発に意見交換がなされた。

 このような特殊なテーマであっても分野によって、用いられる“定性的表現”の解釈や議論の前提についての理解に、小さいとは言えない(場合によっては看過できない)差異が在りうること(例えば、今回のテーマは、放射化は問題とならないことを前提とし、対象に想定されているのは原子炉規制法所管の協議の原子力施設を想定している)を再確認するとともに、「表面汚染免除レベル」「表面汚染クリアランスレベル」といった、初めて耳や目にした、言葉との出会いに驚いた。

 更に驚いたことは、「“クリアランス”とは“放射性廃棄物”を“一般廃棄物”に指定替えすることである」と理解している人がいたという事実である。「一市民として参加しました」と自己紹介されましたが、旧科学技術庁で原子力関係の仕事をされてきた方である。これによって「放射性廃棄物でない廃棄物」という用語が出てきたり、中心部だけが放射化している可能性がある“砲丸”であっても、砕いて“放射能密度”を測定し、判定基準と照合しなければレッテルの張り替えを認めないとする方策を考える人たちの“思考回路”の理解ができたように思われた。

 クリアランス判定の手法が、このような思考により創られ、あるいは創られ様としているのであれば、その産物は全く実用に適さないものとなるように危惧する。基準値との比較に際して遭遇する“判定の不確実性”を回避するため基準値に大きな安全係数を乗じ、“規制を解除”された後の使用目的や使用法の違いの多様性をことごとくカバーし、設計施行の合理性判定が可能とは思えない程の将来にまでわたって検討する、というのは、関係者が仕事(あるいは予算)確保のためのものであると批判されても仕方がなかろう。

 大体、このような視点で世の中を眺めるならば、我々の人体を含め、目に映る物はみな“放射性物質”(=有意に放射性を持つ物)となってしまう。また、仮に、世の中に無数の言ってよいほど存在する他のリスク要因についても、それぞれのリスク管理基準(設定の手法と数値)を“放射性廃棄物のクリアランス”基準に並みに揃えるとすれば、例えばインフルエンザに罹った人は鼻をかんだtissueを屑籠に捨てられないだろうし、ペットの犬を人前に連れていくこともできなくなる。クルマは勿論自転車さえ使えなくなるかも知れないのである。砂糖も食塩も薬ですら追放されてしまいかねない。

 外部に放射線や放射能の滲出が認められず、物体として健全性を損ねる心配がないものについては、仮に“芯の部分が局所的に何がしか放射化している可能性”があったとしても、そのことを明記しておくことで、“普通に使用できる”ようにすべきである。

 放射線防護に係る現行の国の制度設計は、放射線の“特定線源”の使用を規制することをベースにしている。そのためには“特定線源”の指定が必要であり、それには“除外”と“免除”という概念が導入され使用されている。一方指定を受けた“特定線源”に対しては、必ずやある日ある時、指定を解除することが必要となることは自明の理である。私の「クリアランス」の解釈は、以前から一貫して述べ続けているように、このような“指定の解除”なのである。

 管理区域内で発生した廃棄物には「放射性廃棄物」のレッテルを貼り、上記“特定線源”の範疇に含めて“永久保管”を義務付けるという手法が破綻し、レッテル剥がしを主たる目的に“指定解除”の議論をするものだから、上記のような事態を生じるに至ったのである。




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