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相談室
加藤和明
2010年06月06日 |
当フォーラムでは、社会奉仕の一環として、“放射線に係るヨロズ相談”に応じますと、恐る恐る公言してきた。
- 「核燃料物質、核原料物質、原子炉及び放射線の定義に関する政令」の第4条第1項の(3)の記述『特定エックス線(軌道電子捕獲に伴って発生する特性エックス線に限る)』の但し書き、すなわち()の中にある記述、はどういう理由でつけられたものか?
- 「ICRPが放射線荷重係数の値を示すにあたって、“電子”には“DNAに結合した原子から放出されるオージェ電子”を含めない」と断っている理由は何か?
といった、難しい質問が殺到したらどうしようと、心配したのである。ところが、始めたころは続けて何件かのご相談が寄せられたが、まるでこちらからfade
outを掛けたかのように途絶えてしまった。
それは、ご相談の多くが、医療に伴う放射線被曝への“心配”に関わるもので、相談者のprivacyに係ることへの配慮から、ご相談の“Q and
A”を、一般化・普遍化した形で公表することが技術的あるいは能力的に困難なためであった。生物である「ヒト」と、それに人格が加わった「人」はことなるので、ご相談。ご質問への回答は、理科の試験問題に対する解答のようには行かないのである。
新聞や雑誌に載る「身の上相談」が多くの読者を得ているのは、人には多かれ少なかれ“覗き見”に興味を覚えるところがあり、また、世の中には似たような悩みを持つ人が潜在的に多数いて、その人たちの役に立っているからであろう。寄せられる一つの相談の後ろに沢山のsilentな相談者が潜在していることを、編集者は知っているのである。
だれが書いても同じような回答というのは、金太郎飴のようなもので個性がないということに繋がり、情報としての付加価値は高くならない。評判の良い昨今の身の上相談というのは、大変に個性的なものとなっているので、筆者は放射線に係るご相談に対してもこのような扱いが出来ないものだろうかと考えている。個性的な回答はそれ自身一つの作品であり、それをどのように受け取るかは読み手の置かれている状況、価値観、感受性、等に依存することであると割り切ってよいのではないかと思うのである。
最近、久しぶりにご相談のメールを戴いたが、やはり医療被曝に関しての質問であった。
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