RSF 放射線安全フォーラム
理事長コラム


LNTと放射線防護
加藤和明
2016年05月23日

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 LNTは“直線無閾値”の英語表現“Linear Non-Threshold”の頭文字を綴ったものであり、「放射線被曝が齎す“リスク”は被曝線量に正比例し、“リスク”を齎す線量に閾値は存在しないこと」を意味する。 リスクとは「“望ましくない影響”発現の可能性」を意味する。

 LNTの(意味合いの)説明に、“リスク”を“影響”に置き換えたものをよく見掛けるが、放射線防護の目標が、実際上「ICRPのいう stochastic effect(筆者は「確率論的影響」と訳したい)発現の可能性を一定限度内に抑制すること」となって居ることを考えると、不適切・不正確といわざるを得ない。 また、影響を、ICRPの旧式な表現である deterministic effect(確定的影響)に限定すると、線量と共に増加するのは“影響の重篤度”となる上、影響発現の線量には閾値が存在するとされているので、その意味でも、LNTの(意味合い)説明に、“影響”を安易に使用することはお勧めできない。

 放射線防護の言葉で括られる領域は非常に広いが、“影響論(学)”と“管理論(学)”は、その中の中心的存在であるといえる。 両者が深い関係にあることは当然であるが、学問としての関心の向けどころが全く違っているので、その意味においては、両者全くの別物であるといってもよい。影響屋さん達は「LNTは仮説である」といい、管理屋さん達は「LNTはモデルである」という1)

 ところで、“放射線防護”という言葉は、現在広く人口に膾炙しているが、多くの場合、人の健康に着目した“防護”と受け止められている。 それは、我が国の“放射線防護”に係る制度設計が、ICRPの(創出・勧告する)システムに準拠してつくられ、改変を重ねてきたからであるともいえる。 ICRPの中にある“RP”は“Radiological Protection”であって,“Radiation Protection”ではない。 ICRPのシステムつくりに大きく貢献してきた西欧文明はキリスト教の影響を強く受けており、結果として、ヒトと他の動物の間には厳しく峻別の線が引かれていることも指摘しておきたい。

 2011年3月に、安全対策上“想定外”とされていた“原発の過酷事故”が起き、放射線防護の対策にも“非平時”を追加する必要を強く認識した。 減災対策や事故・災害発生時の復旧作業への対応策も、常時必要なものであることを知らされたのであった。 福島第一原発(1F)の現場では、人だけでなくロボット(や機器)も放射線被曝により“病気(=機能障害)”になったり“落命”することを目の当たりにしてきたので、放射線の“管理屋”も、己の“平和ボケ”から目覚めさせられたのである。 “RP”の対象は拡大されなければならず、ヒトの防護に限定される線量にしても、平時の職業被曝や環境保全のみに適応するものだけを用意するのでは不十分で、過剰被曝により重篤な放射線障害を受けたヒトや機器の“治療”に役立つ“dosimetry”の開発や、放射線がらみの災害や核がらみのテロ・戦争の発生に備えた“dosimetry”の整備を早急に進めることが望まれる。 “dosimetry”の開発・整備とは、それらに適した“線量”、すなわち、合目的性の高さと測定・評価の技術的可能性を十分に備えた線量、を創り出し、測定・評価の技術水準の向上に努めることを意味する。

 話を“狭義の放射線防護”すなわち、Radiological Protectionに戻す。 今日、平時の放射線防護においては、「放射線被曝により被る(であろう)リスクの管理」が実際上の目標とされているが、国は、そのため基本方針として“被曝線量は少なければ少ないほど良い”を掲げている2)。 また、リスク管理システムの構築・運用に使われているデータは、アメリカが先の大戦(WWⅡ)で使用した原爆の性能調査の結果得られたものに根拠を置いている。 これらが、現行の放射線防護システムの特徴・特質となって居る。

 予想していない事故や災害が起きたときの“線量”測定は、通常“不可能”なことであり、間接的な測定結果などの“状況証拠”から評価される値も、多くは、要求水準を満たすものからは遠いものである。 それは、チェルノブイリ原発事故(1086)や東海村JCO(1999)の臨界事故を顧みるとき明白である。

 1945年の原爆被災に付随する線量評価も同様であるといえるが、dosimetryに係る科学技術の発展レベルを考えるなら、仮に線量測定の準備を事前になしえたといても、その困難さは、日米ともに、今日の比ではなかった筈である。 原爆の兵器としての性能調査には、“線量”の評価と“影響”の評価が必要となる。 原爆を炸裂させた側も測定による線量(の時空分布などの)情報の把握は不十分であった。 アメリカは、Nevadaの砂漠に裸の原子炉を建設し、“線量”の実測を行った(Ichiban-Project:T57D & T65D)。その後、中性子線量に空気の湿度が大きく影響を与えることが分かり、その補正を大型計算機の力を借りて行った(DS86)。 広島の場合、爆心から 0.8-1.5kmの中性子線量が 10-15%、γ線の線量が約10%大きくなった。 その後、広島に投下された原爆と長崎で使われた原爆の詳細が“機密解除”というか、原爆の性能評価のための dosimetryに使用することが認められたこと、放射化分析の進歩によって“爆心”から 1.5㎞以遠についても中性子線量の評価に資するデータが得られたこと、などから、計算機による線量評価システムの改善が日米共同事業として行われ、線量評価の品質(精度・確度)を向上させることができた(DS02)。

 一方、“影響”については、戦後いち早く広島に調査のための研究所ABCCを設置し、被爆生存者の直接診断や疫学調査を始めたのであった。 TNT換算での兵器性能としては長崎に投下されたプルトニウム爆弾 Fat-Manの方が、広島に投下されたウラン爆弾 Little-Boyの方が強力であったが、川の街である広島が平坦であったのと違って、山の街である長崎では山地の放射線遮蔽効果が大きく働いたため、放射線の影響は、広島の方が大きかったのである。

 ICRPが、そのシステムの構築と運用に使用してきた specific risk、すなわち、単位線量の与えるリスクは、これらの“性能評価”の結果に基づいてつくられている。今日放射線防護の世界で話題となるLNTについての議論というのは、この性能評価、すなわち“線量”と“影響(の名で呼ばれるが、実はstochastic effect発症の可能性)”評価の在り方と答案の出来栄えについての議論に他ならない。

 ICRPは、“影響”を線量の単調増加関数として捉え続けてきたが、“影響”の専門家が強調するように“100mSv以下(もしくは未満)の領域”では、この関数関係は“今もってよく分かっておらず”、よく分からないということは“リスク管理上”無視していいということになるので“影響はない”と分かりやすく説明してきたのである。

 今日、stochastic effect発症の可能性、すなわち放射線被曝によって齎されるリスク、は線量率の大きさに大きく依存することが知られるようになった。 実験や実験結果の解析を生業とする放射線生物学の専門家からは、“影響”が線量率に大きく依存すること3)や、いわゆる低線量の領域では“健康にとって望ましい影響”も見られる(放射線ホルメシス)こと、が声高に唱えられている4)。 しかし、ICRPはこの効果をシステム構築に取り込むことに積極的ではなかったように見える。 それが本当の理由とは思えないが、実際は、線量率の時間変化の観測は技術的に難しいものである。 実験的に得られる“時間スペクトル”は、観測に用いた単位時間の取り方により、その様相を大きく変えものであり、単位時間をどこまで短くできるかについては、何時の時代にも技術上の限界があるからである。 この問題については、後にまた取り上げることにする。

 さて、管理屋が LNTモデルに強く拘るのにはそれなりの理由があるのである。 「計量なくして管理なし」と言われるが、国の現行制度設計において、管理すべき、あるいはされるべき、対象の基本量が線量率の時間積分である線量とされていること、積算時間が月や年といった長期にわたるものとされていること、また、その線量管理の基本方針として、上述の“the less, the better”が挙げられていること、から、線量の測定・評価には“可算性の保証”が必然的に要求されることになるということである。 線量として使用されているものが、線量としての適性を十分に備えているか否かに拘わらず、しばしば“影響”の表現体として使用される、という現実があり、それから目を離す訳にはいかないと考える“専門家”もいるようで、その影響もないとは言わないが、筆者には、先に挙げた、線量評価に対する(下限カットオフなしの)加算性要求が、無意識のうちに強く働いていることが最大の要因であるように思われる。

 影響屋さん達が言うように、現行の(ICRPが導入・使用している)実効線量で100mSv未満(または以下)の領域については「“影響”/“線量”= 一定」の仮説が成り立つか否かは、半世紀を超える関係者の努力にも拘わらず、今なお確たることは“分からない”状態で、それは“リスク管理”もしくは“安全保証”の観点から言えば、“影響”は無視できるということである。

 放射線照射により動物にがんを人工的に生成させる実験や関係論文の収集分析に長年関わって来られた当フォーラムの田ノ岡顧問は、(線量率が)1Gy/min以下になると、“境界線量”(がん発症が見られるか見られないかの境界に当る線量;原著論文等では“非発がん線量”と表記)が線量率に反比例して増大すると主張している3)5)。 ICRPモデルでは、stochastic effectに係るリスク係数の評価にDDREF(線量・線量率効果係数)なる補正係数を用意し、これまで一貫して 2という数値を使っているが、田ノ岡氏の最新の見積もりでは 16.5になるという。

 線量は、数学的には、線量率の時間積分であるが、実は線量率の時間スペクトルを実験的に把握するという仕事には困難が付きまとう。 線量率を測定しようと思えば、なにがしかの時間、線量を測定しなければならないが、その時間をどこまで小さくできるかは、利用できる測定手段の性能に依存する。 また、その際の線量に測定可能の上限を超えないという保証の取り付けも必要となる。 原爆線量は通常“瞬間線量”という言い方で表現されるが、学術的な厳密性を追求するとなると、「兵器として使われた原爆の(例えば空中)最大線量率が幾らであったか」という問いは、「核分裂生成物の放射性壊変の段数は(平均)幾つになるか」という問いと同様、正解追及は永遠の課題であろう。 多段壊変の平均回数については、大胆に“答案”を記載してある書物も幾つか目にしたが、数値はかなりばらついていた。 先述の原爆性能評価プロジェクト“DS86”(日米共同事業)では、吸収線量の main partは、primary fission gamma-rays(照射時間~1μsec)、prompt secondary gamma-rays(同≤0.1sec)、delayed gamma-rays(同≤10sec)であるとし、被曝線量の領域 100mGy-10Gyの線量は、線量率6x10(+5)[Gy/min]-6x10(+8)[Gy/min]で齎されたとしているそうである5)

 このような背景があるので、筆者は、影響の線量率依存性を数学的な意味で厳密に記述することは、今のところ、不可能と考える。

 物理量としての“線量率”は、使用する単位の違いにより数値は異なるが、量としての値は不変である。 クルマの速度(の大きさ)でいうと、時速 60kmも分速 1kmも秒速(1/60)kmも違いがないということになる。 しかし、実社会ではクルマのスピード違反を咎めるのに 1時間測定を続けることはしない。 単位に使われている“時間”あたりで、大きさをとらえる人が多いのは事実であろう。 福島原発事故の対応で特殊廃棄物の管理基準に“8,000Bq/kg”というのがあるが“8[Bq/g]”との違いを正確に指摘できる人は少ないと思う。

 典型的な実学である放射線防護においては、数学的に厳密な線量率よりも時間を限定した「秒線量」「分線量」「時間線量」「日線量」などの方が理解と使用に便利である。 ピコ秒とかナノ秒での測量は、一部先端科学の領域においては可能であっても、放射線防護の実務においては、せいぜいマイクロ秒止まりであろう。

  参考文献
  1. 田中司朗、角山雄一、中島裕夫、坂東昌子・編:放射線必須データ32、被ばく影響の根拠、創元社、(2016).
  2. 例えば、(旧労働省所管の)労働安全衛生法・電離放射線障害防止規則の第1条(放射線障害防止の基本原則).
  3. Hiroshi Tanooka: Int.J.Radiation Biol.,Vol.87,No.7,July2011,pp.645-652.
  4. 例えば、Manfred Dwosscak: The Chernobyl Conundrum: Is Radiation As Bad As We Thought, 独紙スピーゲル電子版、2016年04月23日. [http://www.spiegel.de/international/world/chernobyl-hints-radiarion-may-be-less-dangerous-than-thought-a-1088744.html].
  5. Hiroshi Tanooka: Dose Rate Problems in Extra polation of Hiroshima-Nagasaki Atomic Bomb Data to Estimation of Cancer Risk of Elevated Environmental Radiation in Fukushima, Chapter6, Fukushima Nuclear Accident: Global Implications, Long-Term Health Effects, and Ecological Consequences, Nova Science Publications(2015).
<了>
rev 2016/06/08


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